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【明解要解】なぜ「暴君」に? ジンバブエのムガベ大統領 (1/2ページ)
■旧宗主国・英国への遺恨が背景か
年間インフレ率16万5000%、失業率80%−。国家崩壊の危機にあるアフリカ南部ジンバブエ。大統領選の決選投票が27日、第1回投票から約3カ月ぶりに行われる。野党候補の勝利が予想される中、1980年の独立以来、独裁体制を敷くムガベ大統領の周辺はクーデターを準備しているとも伝えられる。独立時に欧米から「自由の戦士」と称賛された英雄はなぜ「暴君」に転落したのか。(ロンドン 木村正人)
南アフリカの作家ホランド女史は昨年12月、大統領とのインタビューに成功し『ムガベとの晩餐(ばんさん)』を出版した。女史は1975年、ムガベ氏がモザンビークに出国し武装闘争を始める直前に初めて会った。鉄のように無表情だった50代の闘士は32年後、ダークスーツに赤の絹ネクタイという英国紳士風に変わっていた。
欧米から「暴君」と非難されるムガベ氏についてホランド女史は地元紙に「氏の深層心理を読み解くキーワードは旧宗主国、英国への遺恨だ」と分析する。
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ムガベ氏は24年、首都ハラレ郊外の集落で生まれ、カトリック教徒として育った。ほとんどの子供は自分の名前も書けなかったが、氏はイエズス会の学校で学び教師の資格を取った。恥ずかしがり屋でいつも母親から離れず、本を読むのが好きな少年だったという。
南アのフォートヘア大を卒業後、ガーナ滞在中の58〜60年、アフリカ独立運動の父、エンクルマ初代ガーナ大統領の影響を受けて帰国。破壊活動を扇動したとして64年から10年間投獄された。出獄後、人種差別政策を推し進めるスミス白人少数政権に対し、激しい武装闘争を展開した。
英国の仲介で80年に独立したとき初代首相に就任したムガベ氏は、ローデシア(旧国名)首相だったスミス氏を免罪する寛容さを見せた。白人社会との融和政策は「アフリカでの黒人による国家建設のモデル」と称賛され、88年には第2回アフリカ賞を授与された。

