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【海峡を越えて】埋もれた日韓歌謡史 第2部(1) (1/2ページ)
■見つかった服部良一「朝鮮楽譜」
平成5年秋、作曲家の服部克久は韓国・大田(テジョン)にいた。「大田国際博覧会」に音楽プロデューサーとして招かれ、韓国のオーケストラと競演して日本のポップス音楽を披露していた。
会期中、年配の韓国人数人から話しかけられた。「お父さまにはいろいろな意味でおつきあいいただきました」。戦前、戦中に“外地”で活躍した大衆歌謡の関係者たちだった。
「お父さま」とは和製ポップスの創始者で作曲家の服部良一のことである。「おつきあい?」。克久は何のことかわからなかった。「意外でした。父が戦前の朝鮮半島の音楽家たちと交流があったとは知らなかった」
服部良一はその年の1月に85歳で亡くなっており、克久は本人に確認する機会をすでに逸していた。この話はそれ以後、気に留めることもなく、国際博覧会の出来事もほとんど忘れかけていた。
ところが先月、克久は父の遺品を整理していて思わぬものを見つける。良一が戦前と戦中、朝鮮半島の大衆歌謡を編曲した約30曲の楽譜だった。
明治40(1907)年に大阪市で生まれた服部良一は16歳のとき、道頓堀のうなぎ料亭「出雲屋」が作った出雲屋少年音楽隊に入り、サックスを担当。3年後にはNHK大阪放送局で放送音楽を担当する大阪フィルハーモニック・オーケストラに入団した。ここで指揮者だったエマヌエル・メッテルに約4年間、音楽理論や作曲、指揮の指導を受けた。
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