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【くにのあとさき】湯浅博 日本を愛した彫刻家

2008.12.27 02:58

 冬ざれの木々を抜ける風が身を切るようだった。クヌギやコブシの枝先は、負けじと寒空をツンと突き刺している。どこか凜(りん)とした趣のある風景である。

 ハンガリー出身の天才彫刻家、ワグナー・ナンドールはこの栃木県益子町の山並みが大好きだった。晩年、亡命先のスウェーデンから移り住んで、妻の千代とこの地にアトリエを構えた。

 2年前の春、千代さんから孤高の彫刻家が、いかに大国の身勝手に翻弄(ほんろう)されたかをうかがった。その時に一つの疑問が残っていた。20世紀初頭のハンガリーで、故国の悲劇に巻き込まれながらなぜ希望を失わなかったのか。

 その謎をナンドールの生涯を描いた最新書『ドナウの叫び』(幻冬舎)が解き明かしてくれた。著者の下村徹氏が注目したのは新渡戸稲造の『武士道』である。

 物語は、東欧トランシルバニア地方の小さな渓谷から始まる。日露戦争が終わって9年後のことだ。カイゼル髭(ひげ)を蓄えた初老の男が釣り糸を垂れながら、孫の少年に語りかける。

 「日本には、トーゴーとか、ノギとかいう偉い将軍がいたことが、勝った理由とされているが、その根本には、日本に『ブシドー』というものがあったからだ」

 髭の男はオーストリア・ハンガリー帝国の皇帝つき侍従武官長だった軍人であり、孫は数奇な運命をたどり、やがて日本に帰化した彫刻家ナンドールだった。

 ハンガリーは第一次大戦で敗北し、領土の72%を失った。ナンドールは彫刻家を目指してブダペスト国立美術大学に進んだが、第二次大戦が始まると志願して戦場に赴く。心を動かしたのは、祖父の夢「領土の奪還」である。

 彼はソ連軍やルーマニア軍との戦闘中に自身、顔面に銃弾を受け、部下の多くが斃れた(たお)れた。後に塹壕(ざんごう)内に横たわる部下の姿は「ハンガリアン・コープス像」と呼ばれる彫刻となり、代表作となる。

 ソ連は敗戦後のハンガリーに居座り、若者らを拉致してシベリアに送った。故郷はルーマニア領に併合され、ナンドールは逮捕される。間一髪、処刑直前に脱獄してブダペストに逃れた。

 その地で彼は彫刻家としての地位を確立する。戦後の49年に共産党が政権を握ると、ハンガリーはソ連の衛星国となる。彼は反政府運動を組織するが、ソ連の軍事介入を招くことになる。ハンガリー動乱である。

 ナンドールは必死の脱出行で妻子とスウェーデンに亡命する。しかし、難民彫刻家の作品は売れず、数学者である妻とは別居。絶望のふちで出会ったのが秋山千代だった。著者は数々の脱出行をスリリングな筆遣いで描き、ナンドールを支える武士道の潔さと謙虚さを随所で例示する。

 69年秋、ナンドールと千代は苦難の末にスウェーデンから憧(あこが)れの日本に移り住む。だが、彼は日本人が天皇誕生日に国旗を掲げず、北方四島を奪ったソ連に怒りをぶつけないことを嘆く。下村氏は「父母を敬え。国のために戦った人をおろそかにするな」と地方紙に彼が語った言葉を記す。

 97年、ナンドールは急逝する。享年75。亡くなる前日、彼は千代に「私の日本人への叫びは、とうとう日本人には届かなかったようだ」とつぶやいたという。

 ナンドールの平和への願いである作品「哲学の庭」は、4年後に首都ブダペストの王宮に近いゲレルトの丘に建立された。(東京特派員)

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