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【音楽の政治学】世紀の歌姫、グルベローバ
オペラ界に君臨するソプラノ歌手グルベローバの歌は、聞く者を魅了する。「天上の響き」ともいわれる美声だけでなく、西欧への亡命前、共産主義体制下のチェコスロバキアで経験した波乱の人生が、歌に深みを与えているのは疑いがない。ベルリンで聞いた“世紀の歌姫”の声は実際、人間的な情感に満ちあふれていた。
グルベローバは第二次大戦後の1946年、現スロバキア領内で生まれた。ドイツ人の父は戦後、チェコスロバキア国籍を得て、辛くも同国からの強制追放を免れた。だが、全体主義体制に抵抗し反逆罪の刑を受けた。父は収監中に神経を病んだという。
グルベローバは心を痛めながら歌の訓練を重ね、68年にデビューする。だが、歌劇場は若手にろくに練習の機会を与えなかった。音楽ジャーナリストとの会見で、当時を「共産主義体制下で重要ポストにつく人は下を踏み付け、上にへつらう。若い私への高慢な姿勢には我慢ならなかった」と振り返っている。
同年夏に「プラハの春」に遭遇した。グルベローバはもともと、国内のスロバキア人差別のため、イタリア留学を阻まれソ連にしか行けないことになっていた。しかし、ソ連軍戦車が侵入した同事件によって、ソ連行きも中止となった。留学すれば将来、チェコスロバキアに残る可能性もあったのである。
グルベローバの西側文化への傾斜を不快に思っていた劇場側は翌年に突如、別の女性をソプラノ歌手に起用する。これで隣国オーストリアへの亡命の意思が固まった。
「共産主義下で生き延びるほど私は日和見主義ではない。父を精神的に不具にした者たちへの憎悪も深かった」
71年春、亡命と疑われないよう服を数枚だけ持って家族とオーストリア国境を越えた。公演で何度か国境を越えたことがあり、通過は難しくなかったが、数日後に生まれる子供をおなかに抱えての必死の亡命劇だった。
ウィーン歌劇場は79年、チェコ政府からの求めに対し、世界的な歌手にのし上がっていたグルベローバの出演を条件にプラハ公演を受け入れた。いわば祖国凱旋(がいせん)を果たしたわけだが、心の傷は今も癒えていない。
「西側で旅行する際、国家逃亡罪の悪夢が襲って国境で胸がドキドキすることがある。ミュンヘン空港で荷物検査を受けたとき顔が真っ赤になり、『なぜ?』と聞かれたこともある。あの(共産主義)体制がどれだけ人を痛めつけるかは想像を絶します」
(ベルリン 黒沢潤、写真も)

