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【音楽の政治学】ロシアン・ロック 次期大統領は反体制か (1/2ページ)
2日のロシア大統領選で当選したメドベージェフ第一副首相(42)が、勝利宣言の場所に選んだのは「赤の広場」近くのロック・コンサート会場だった。英国のバンド、ディープ・パープルがお気に入りというロック好き。
選挙に先立つ2月11日には、自身が会長を務める国営天然ガス企業、ガスプロムがクレムリン宮殿で開いた創立15周年パーティーに、ディープ・パープルを招いたほどで、「私が13歳で聴き始めたとき、ディープ・パープルは禁制の音楽だった。隔世の感がある」とご満悦だった。
13歳当時、同氏はレニングラード(現サンクトペテルブルク)の学校に通っていた。東西冷戦時代の1970年代末のことだ。音楽ジャーナリストの第一人者、クシュニール氏は「知人の船員や外交官などを通じ、『鉄のカーテン』を超えて西側のロックが流入していた。メドベージェフ氏が聴いていたのは、地下で7回も8回もダビングを繰り返した質の悪いテープだったかもしれない」と推測する。
旧ソ連におけるロックの嚆矢(こうし)は60年代とされるが、当初はビートルズなどの曲を英語で歌うバンドが主流だった。ソ連独自のロックが出現するのは、80年代のことである。
ただ、そのころの曲調はフォークに近く、歌詞は日常生活の中の本音を表現した柔らかなものが多い。そこには社会批判を巧みにカムフラージュする意図もあり、ジャーナリストのグリエフ氏は「この時期のロックのミュージシャンは皆、多かれ少なかれ反体制の立場だった」と指摘する。
当局はロックを「公認音楽」と認めず、ミュージシャンたちは大学やアパートでの地下活動を余儀なくされた。当局は、小さなコンサートのチケットやテープの販売を「非合法商業活動」として弾圧した。
それも85年にゴルバチョフ政権が誕生すると、ロックは公式に解禁され、ペレストロイカ(再編)の波の中で変革を求める急先鋒(せんぽう)として若者の支持を集めた。

