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【グローバルインタビュー】ヒュー・コータッツイ元駐日英大使「日本の人種差別撤廃条項を米英が否決したのは誤り」 (1/2ページ)

2008.1.6 11:15
このニュースのトピックス新春特別対談・インタビュー
日英修好通商条約締結150年を迎え、日英外交史について語るサー・ヒュー・コータッツィ元駐日英国大使(木村正人撮影)日英修好通商条約締結150年を迎え、日英外交史について語るサー・ヒュー・コータッツィ元駐日英国大使(木村正人撮影)

 英国きっての日本通として知られるヒュー・コータッツィ元駐日英国大使が編著を手掛けた『歴代の駐日英国大使1859〜1972』の翻訳版が昨年、日本で出版された。時を同じくして、英国では『歴代の駐英日本大使』が刊行された。今年は日英修好通商条約締結150年。幕末・明治以降、日本にとって最も重要な位置を占めた英国との2国間関係を元大使に振り返ってもらった。(ロンドン 木村正人)

  −−米国、ロシア、オランダが門戸開放を求めて日本と和親条約を結ぶ中、英国も1858年に日英修好通商条約を締結した

 「当時の日本に対する英国の外交課題が貿易にあったことは明らかだ。英国は緑茶や生糸のほか、磁器、漆器、銅製品などの工芸品を日本から輸入した。イタリア生糸の品質が病害で落ちる中で、日本の生糸が有望になった。同時に英国は新たな市場として日本に注目していた。19世紀までは英国で建造された軍艦が日本に輸出されていた。また、最初の紡績機も英国から輸出された」

 −−緑茶が日本から英国に輸出されたのはなぜか

 「インドの紅茶が人気を得るまでは、英国人は日本の緑茶を飲んでいた。インド北東部のアッサムやスリランカで紅茶が栽培されるようになると、それらが日本の緑茶に取って代わって、19世紀末には緑茶は有力な輸出品ではなくなった」

 −−日英修好通商条約が結ばれた直後はひどい英国商人もいた

 「貿易開始後1年間は、外国貨幣はすべて日本で通用すると定められていたので、英国の商人が“あかんべえ”、“ほんまかいな”などとデタラメな名前をかたって法外な日本貨幣を要求するケースが続発した。このため、初代のオルコック駐日公使(59〜62、64年)は“英国人の面汚し”と激怒していた」

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日英修好通商条約締結150年を迎え、日英外交史について語るサー・ヒュー・コータッツィ元駐日英国大使(木村正人撮影)
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