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【やばいぞ日本】第3部 心棒を欠いている(6)
■国連PKO局長に尻込み
国連の中核ともいえる平和維持活動を仕切るPKO局トップは垂涎(すいぜん)の的だ。年間予算約50億ドル、スタッフ500人。世界で18のPKO、総要員10万人の展開を立案し、管理する。各国は局長ポストをめぐって水面下で激烈な競争を繰り広げる。
今年1月、潘基文事務総長サイドは日本に対し、新PKO局長を非公式に打診してきた。
これは国連の組織再編に伴うものだ。具体的には、当時日本が事務次長ポストを持っていた軍縮局を廃止、事務総長直轄の「室」にする代わりに、現在のPKO局を司令塔の「現場統括」と「財務・調達」部門の2つに分割するものだった。
米国(26%)に次ぐ第二の分担金拠出国でもある日本(17%)は、国連事務局内の序列で事務総長、副事務総長に次ぐナンバー3、事務次長ポストを維持してきた。財務・調達部門の事務次長ポスト打診は軍縮局長廃止の見合いといえた。
しかし、日本は断った。
日本政府関係者は、その理由について「当時はまだ新PKO局設立が総会で認められるかどうか分からない状況だった。それよりは確実に事務次長ポストを取ることを優先した」と話す。外務省筋も、軍縮局長と同格の事務次長ポストである広報局長を早くから狙う方向性が出ていたという。
潘事務総長は結果的に2月、赤阪清隆・経済協力開発機構(OECD)事務次長を広報局長に任命した。
だが、ある国連当局者は「日本政府からは『PKO全般に通じた人材がおらず、バックアップする態勢がない』という本音を聞いた。一体、何を考えているんだと思った」と話す。
米保守系シンクタンク、アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所(AEI)上級研究員のボルトン前国連大使も「日本はPKOに良く参加してきたけれども、広範ではなかった。それを考えるとこの部門のトップを務めることは背伸びの部分があったかもしれない」と多少の皮肉を込めて語る。
日本が自らに課したPKO参加の制約が、花形ポスト獲得を躊躇(ちゆうちよ)させた大きな要因といってよい。
兵員に限ってみた日本のPKO派遣要員数は現在わずか51人(ゴラン高原とネパールの2カ所)だ。要員数で1位のパキスタン(1万173人)の200分の1にしかならない。
派遣するにしても(1)停戦の合意成立(2)紛争当事国の受け入れ−などが必要であり、それが満たされない場合、日本部隊は撤収するという原則がある。
武器使用についても、国連の標準行動基準である「任務遂行を妨害する行為を実力で排除する行動」を認めていない。戦闘に巻き込まれた場合の応戦は、憲法第9条で禁じられる武力行使にあたり、武器使用は正当防衛・緊急避難以外は認められないと解釈しているためだ。
いわば、仲間が攻撃されても助けに行けない。他国の軍隊には通用しないルール。国際共同行動の責任と義務をまともに担えない「特殊な国」なのだ。
在日経験の長い外交筋は「憲法の解釈とか改正の是非は日本自身が決める問題だが、今のままでも日本はもっと多くの新たな役割を担えるはずです。それを阻んでいるのは、日本人が傷ついたり、死亡したりすることを恐れているからではないですか」と指摘する。
「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と憲法前文でうたった日本なのに、犠牲をひたすら忌避する道を歩み続けていこうとしている。
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■国際標準に遠い「特殊な国」
日本が「PKOを増やせない、出せない」と弁明するのを国際社会はどう見ているのか。
世界ではあらゆる種類の紛争が起きている。それに伴い、平和維持活動や復興活動には、多様な職種の働き手が必要だ。インフラ復旧を助ける兵士、文民警察官、開発担当者、統治にかかわる法律専門家−などだ。日本にはそうした人材や力があるのに、いつまでためらっているのか−という意見は少なくない。
例えばドイツは、日本と同様に1991年の湾岸戦争で人的貢献ができず、国際社会から批判された。
しかし、94年に憲法裁判所判決を取り付けてNATO(北大西洋条約機構)域外への派兵を可能にした上で、積極的にPKO参加を進めた。これまでにアフガニスタンで展開する多国籍軍の国際治安支援部隊(ISAF)など8つの国際活動に兵員7300人と警察官250人(2004年現在)が参加し、日本より一歩も二歩も先を進んでいる。
「PKOの生みの親」と呼ばれるカナダは、「国連の主な平和維持活動のすべてに参加してきた唯一の国」としてPKO以前の国際活動を含めて60の活動に参加してきた。アフガンでも率先してISAFを主導し、この夏にはカナダ兵士の死者が70人を超えた。アフガン以前のPKOなどの犠牲者(累計121人)に近づきつつあり、苦悩はにじむ。
「国民の代表でもあるPKO参加兵士の犠牲を心から悲しむ気持ちはドイツ、カナダでも、日本でも変わりはない。だが、それを乗り越えて国際社会のためにつくす大義をきちんと位置づける仕組みと政治の営みが必要ではないか」と外交筋は語る。カナダやドイツはそれを果たしてきたのである。
一方、国連PKO協力法が成立した1992年以降、日本は9つのPKOに参加してきた。このうち自衛隊派遣は▽カンボジア▽モザンビーク▽ゴラン高原▽東ティモール▽ネパールの5つだ。このほかPKOとは別枠の国連難民救済活動に自衛隊医療部隊などが派遣されたが、これらすべてを合わせても人的貢献としては国際水準に遠く及ばない。
ある防衛省幹部は「PKOに参加できるところがあるならば、もっと出したいのは当然」というが、1面で紹介したPKO参加の原則などによって、がんじがらめに縛られている。
94年、アフリカ・モザンビークPKOに派遣された陸上自衛隊部隊は、ウルグアイ人の現地司令官から、緊急事態に伴い民間の要員を警護するよう要請された。
陸自部隊は警護任務を与えられていないと断ったところ、司令官は「なぜ、できないのか」と不快感を示した。日本の制約を説明した隊員は「あんなに恥ずかしいことはなかった」と述懐する。
国連基準である任務遂行を妨害する行為を排除するための武器使用が認められていないため、自衛隊は他国と同じように治安維持や要員を守る警護任務などを担えない。
これらは憲法第9条で禁じられている「国際紛争を解決する手段としての武力行使」でないことは明白なのに政府解釈見直しには至っていない。
他国の軍隊と違うルールで国際平和活動に自衛隊を参加させ続けている政治の無責任さも問われるべきだ。
93年、文民警察官らに犠牲者を出したカンボジアPKOで国民感情が動揺した経緯があるにせよ、日本の理屈は「身勝手」としか国際社会には映らないのではないか。(長戸雅子、高畑昭男)