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【記者ブログ】時系列:チベットとその周辺で今まで何が起こったか。4月20日〜22日 福島香織 (4/5ページ)

2008.5.1 01:17
このニュースのトピックス福島香織の北京特派員記者ブログ

■チョモランマにあるシガツェ地区定日県で、昨日、シガツェ地区の五輪聖火チョモランマ安全保障決起動員大会が開かれ、政府司法機関各警備担当、各職能部門、武装警察辺境警備、消防、内衛部隊に対し、五輪の安全保障工作強化が要求された。

■ 中国国家体育総局チベット工作チームがすでにラサに入り、チョモランマの聖火リレー工作を高度に重視するよう要求。トーチがラサ入りする期間、ラサには戒厳体制が実行され、このときは、チベット族の巡礼活動(マニ車を回して寺院の回りを回るなど)は禁止される。ただし当局は対外的には戒厳体制をとっていることを認めないだろう。ラサの旅行社は自治区の批准をえて、トーチがラサについたあと、少なくとも2万人の漢族(多くが旅行社職員と観光客)を動員して、ポタラ宮広場で行われる「保聖火愛祖国」(聖火を保ち祖国を愛する)活動に参加させる。

■ 5月から、ラサの本籍ではなく、正式な仕事を持っていないチベット族(寺院にいる学経の外地の僧侶を含む)は、全員原籍地に帰らねばならない。チベット自治区の外にあるアムド、カムのチベット族は、一律にラサに行ってはならない。チベット自治区内でトーチが通る沿線の村もこれと同じ処置がとられる。

■チベット日報で「ダライ分裂集団の本質を暴き批判する一連の論評」が今日から発表された。この文章はダライ・ラマを声高に攻撃し、いわゆる「三禍一総」であると、ダライ・ラマの性質を決めつけた。すなわち、チベット人民の最も根本的な利益を損なった禍の張本人であり、チベット族人民にとって禍根であり、全国人民の禍の種であり、「チベット独立」の分裂主義政治集団の総頭目である。

■また文化大革命式の政治運動がチベット各地各県で全面的に展開されている。林芝(リンチー)区米林県では9つの工作チームが組織され、各郷鎮、寺院などに派遣され、「集中宣伝講話、集中批判討論、内情を調査し異論排斥、規定・制度の設立、しっかり実行」などの措置をとった。

■ 僧侶の大がかりな逮捕はまだ実行中だ。ラサのデプン寺付近の乃窮寺はもっか、4人しか僧侶はのこっていない。チベット族は互いに議論し、寺院の厳酷な鎮圧時について、憤慨するだけでなく恐怖を感じている。すべての寺院は封鎖をせまられ、おおくのチベット族は薬王山の摩崖石刻仏前で、バターろうそくを掲げて、鎮圧された僧侶と民衆のために祈祷するほかない。

■ ウ・ツァン(チベット自治区ラサ市林周県)のサキャ派寺院ナーランダでは、17日、8人の僧侶が捕まった。アムド(甘粛省甘南チベット族自治州碌曲県)西倉寺では15日と16日にあわせて32人の僧侶が拘束された。アムド(甘粛省甘南チベット族自治州卓尼県)の多科郷曲拝扎西曲科寺では200人の僧侶が拘束された。アムド(四川省アバチベット族チャン族自治州若爾盖県)の達倉拉姆格●(=徳の心の上に一)寺、森多寺、和多却村では、僧侶の貢却塔克、貢却熱丹、塔益、布剛達傑と村民のプンツォク(20才)、アト(19才)、プンツォク(19才)、看卓才譲(14才)が拘束された。4月19日夜、達倉拉姆格●(=徳の心の上に一)寺の190人あまりの僧侶がこっそり寺を離れ山野に非難した。

■ アムド(四川省アバ族チャン族自治区州アバ県)の格爾登寺の僧侶、図松は今月16日夜、自殺した。29才だった。図松は目が見えず、自殺前に家族に次のように話していた。「このような日々に、目の見えるあなた方は絶えられないなどと言わないでください。目の見えない私も絶えられないのだから。」

■青海で拘束された数人のチベット芸人、教師、作家の状況は次ぎのとおり。:

3月31日、青海省果洛州の民間芸人、ダバ(以前にダバイと表記)と卓瑪吉および、チベット語教育に従事していた巴千恰、恒周(倫珠)、桑南多吉が逮捕された。5人は、すべて西寧に連行され拘留され、目下の状況は不明。4月1日は青海テレビ曲の著名チベット族歌手で詩人の加羊吉が青海省の安全当局に呼び出され拘束されて今にいたる。

■ ダバは、漢字表記で達貝(Dabe)、またの名はダワタル、達瓦塔(Dawatar)。有名な語り部芸人で、チベットの人々は「ゴロクのダバ」(果洛達貝)と呼んでいる。彼は「瑪域格薩爾雄獅子芸術団」を2003年3月3日から地元政府の許可を得て創設していた。これは独立した芸術団で、いかなる外部の援助をもうけず、その主旨は地元の人々に教育や研修を行いチベット文化の発展に寄与するというものだ。研修プログラムには、舞踏科、チベット語科、漢語科があった。このような学習を通じて、一部の農牧民たちは就職の機会を得る可能性も獲得できた。彼は果洛の重要な文化人だった。彼は1990年に、「ライの恋歌」(拉伊情歌)を発表。彼の漫才は1996年と2001年に賞を得ている。また、彼は格薩爾の物語を語り歌い、《格薩爾歌語り芸術》のVCDをリリース。http://www.tibet3.com/chinese/shis/content/2007-02/02/content_196337.htmで、彼の漫才を見ることができる。

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