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【正論】「ラサ」の悲劇と「北京」の笑劇 評論家・西部邁 (2/3ページ)
しかし、(非戦闘員への)ジェノサイド(大量殺戮(さつりく))や(特定民族への)ホロコースト(全体抹殺)が具体的に推し進められているなら、それは、国際社会にとって、普遍的に禁止さるべき事態といわなければならない。なぜといって、民族浄化は国際「社会」の成立根拠にたいする重大な挑戦だからである。国際社会の長期展望が大きく揺るがされているのに眼をつむって、国際的な経済取引や政治折衝や社会交際や文化交流について云々(うんぬん)するのは、(長期的なものとしての)国益について喋々(ちょうちょう)することも含めて、児戯に類している。
他民族が浄化作戦を受けていることに無関心であるのは、ヒューマニズムに反するとの理由で批判されるのではない。それは、国際社会の否定であるがゆえに、社会的動物たる人間にとって許されざる所業なのである。その禁断を犯している中国、少なくともその嫌疑が濃厚な中国、そんな国家が平和の祭典とやらを主催せんとしている。ピース(平和)がパクス(平定)であるのはやむをえないとしても、それを祝うというのは文化的小児病である。
平和は平定にあらず
なぜ我が政府の外交は、そして我が国民の国際感覚は、他国における民族浄化の問題に、つまり普遍的かつ具体的な国際価値の問題に、かくも鈍感なのだろうか。それは、戦後の日本「国家」(国民とその政府)がアメリカからの(精神的)浄化を喜んで受け入れた、という経緯の然(しか)らしむるところであろう。オルテガがいったように、「外部への適応をもっぱらにするのは、その民族にとって命取りとなる」。
南京事件の嘘(うそ)を暴露することは、我らの国民性が民族浄化に手を染めるような下等なものではないと確認する上で、きわめて重要なことだ。それと同じくらい重要なのは、原爆投下をはじめとする大空襲がジェノサイドであった、とアメリカに認めさせることである。それらの作業が、この六十余年、ないがしろにされてきた。

