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挑発に怨念噴出 チベットの哀しみ ペマ・ギャルポ氏 (3/5ページ)

2008.3.21 22:26
このニュースのトピックスチベット
チベット亡命政府があるインド北部ダラムサラで20日、ろうそくを手に集まったチベット族の人たち(AP)チベット亡命政府があるインド北部ダラムサラで20日、ろうそくを手に集まったチベット族の人たち(AP)

 ▼幼少時に雰囲気一転

 私は53年6月、現在の四川省の甘孜(ガンズ)チベット自治州で生まれた。

 父はもともとは藩主ということもあって、51年に北京政府と結んだ条約に基づいて、県長にもなった。中国側は私のことを「藩主の子」と呼んでかわいがってくれた。家に毛沢東、劉少奇、ダライ・ラマ、パンチェン・ラマの4人の写真が掲げられていたのを覚えている。人民解放軍の兵士たちも一生懸命、人を助けたり、私もあめ玉をもらったことがある。

 ところが、それがある日、がらりと雰囲気が変わる。子供でも、毛沢東の写真に、傷を付けたりして喜ぶようになった。

 私の村では水道がないので、水を川からくんでくるのが女の子の日課になっていたが、中国軍に届け、乱暴されたことが何回かあって、それがきっかけで摩擦が起きた。そこで村民が立ち上がった。

 それは1957年ごろだったと思う。逃げながらラサまで行った。何度か追っ手の中国軍と戦い、村を出た当初は200人の大きな団体だったが、インドにたどりついたときは20人ぐらいになっていた。後から聞いたら、残ったおばあさん2人と兄2人は、餓死したり、射殺されたらしい。

 人々の話では、一番辛かったのは、人民裁判で、奥さんが旦那(だんな)さんを、子供が親を告発したりしたことだという。人民裁判では、殴ったりしなければならなかった。

 僕の父には、妻が2人いた。つまり私には母が2人いた。年下の母は共産党に非協力的で、騒乱を起こしたうちの1人だ。

 その下の母には、そっくりのいとこがいて、(中国軍は)その人を殺して見せしめにした。下の母を捕まえ、処刑したように見せかけたらしい。

 先代のパンチェン・ラマが亡くなる3カ月前に東京の中国大使館で会った。そのとき、一番辛かったのは刑務所で人としゃべれなかったことだと言った。彼は19年間独房に入れられていた。僕たちと会ったときも言葉がたどたどしかった。

 チベット全土では、家族が全員そろっている人はいないと思う。必ず、誰かが犠牲になっている。

このニュースの写真

チベット亡命政府があるインド北部ダラムサラで20日、ろうそくを手に集まったチベット族の人たち(AP)
15日、インド北東部シングリ郊外でろうそくをともして抗議デモに加わる僧侶たち(ロイター)
ペマ・ギャルポ桐蔭横浜大教授
ペマ・ギャルポ桐蔭横浜大教授

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