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国際世論に耳貸さず?ダライラマの影響力恐れる チベット情勢で中国 (1/2ページ)
このニュースのトピックス:チベット
【北京=伊藤正】中国チベット自治区の区都ラサで発生した大規模な騒乱事件に対し、胡錦濤政権は、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世に扇動された分離独立運動グループの策謀とし、武力行使を含めた強硬姿勢で制圧する方針を明確にした。強硬手段は海外の批判を受け、北京五輪への影響も招きかねないが、独立運動の封じ込めは、台湾問題などにも通じる国策であり、自制を求める国際世論に耳を貸す気配は見えない。
1951年に中国軍が進攻して「解放」した後、共産党の対チベット政策は、毛沢東の社会主義化路線の下で、チベット人の反感を募らせ、59年3月には、大規模な暴動事件に発展、ダライ・ラマはインドに亡命した。
80年3月、胡耀邦・元総書記が主宰した工作会議で、自治区幹部へのチベット人大量登用、宗教、文化の尊重、経済支援強化など8項目の方針を決める。同年5月には胡氏がチベットを訪問、中央と現地の緊張関係は緩和された。
その後、チベット人指導者が頻繁に●(=登におおざと)小平氏らと会談するなど、中央とチベットとの関係は改善されたが、87年1月に胡耀邦氏が総書記を解任された後、ラマ僧らによる漢民族支配への抗議行動が断続的に発生する。
88年1月、チベット人指導者パンチェン・ラマ10世(全人代副委員長)が急死した後、ラマ僧らのデモに対処するため、党中央は胡錦濤氏を自治区書記に派遣、強硬政策に転換。翌89年春の騒乱事件にはラサに戒厳令を敷き、騒乱を鎮圧した。
胡錦濤氏は92年に党政治局常務委員に抜擢されたが、●(=登におおざと)小平氏はその理由の一つにラサ騒乱鎮圧を挙げたという。それ以来、チベットでは経済建設が進み、外国人の旅行も自由化するなど情勢は安定化していった。






