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【トウ小平秘録】(150)第6部「先富論」の遺産 中韓接近
■北朝鮮の焦慮深めた
天安門事件5カ月後の1989年11月5日、北朝鮮の金日成(キムイルソン)国家主席(肩書は当時、以下同)が非公式訪中をした。北京駅には、85歳のトウ小平(しょうへい)氏が出迎えた。70年代末に実権掌握後、トウ氏が外国賓客の出迎えに行ったことはなかった。
この翌日開幕の中央委総会(13期5中総会)で、トウ氏は中央軍事委主席を辞任、引退することが決まっていた。その前にトウ氏は金氏の出迎えに行く必要を感じたという。後継者の江沢民(こうたくみん)総書記を紹介するためだ(鐘之成(しょうじせい)著「為了世界更美好−江沢民出訪紀実」世界知識出版社)。
毛沢東は死去する前年の75年4月、訪中した金日成氏との会見で、今後はこの男があなたの相手をするとトウ小平氏を紹介した。トウ氏は金氏と公式会談をし、地方旅行に同行したが、14年後、トウ氏も同様に江沢民氏を金氏に紹介、会談も地方旅行同行も江氏が務めた。
中国の文革で疎遠になった中朝関係の修復が75年の金日成訪中の目的だった。このとき金氏は歓迎宴で、朝鮮半島の統一に「南進」も辞さずと演説、出席者を驚かせた。トウ小平氏は統一支持を表明したが、南進には触れなかった。
北朝鮮が統一工作のため日本人や韓国人の拉致を始めたのはこの後だ。中国が70年代末、改革・開放に転じてから中朝関係は冷え始める。82年に金日成氏は自主的、平和的統一を打ち出す一方、ラングーン(現ヤンゴン)事件(83年)や大韓航空機爆破事件(87年)を起こした。
北朝鮮が焦慮を深めた一因は、中国と韓国の接近だった。中国はソウルで開かれた86年のアジア大会に続き、88年の夏季五輪にも参加、北朝鮮の怒りを買う。
胡耀邦(こようほう)、趙紫陽(ちょうしよう)両総書記の時代には、中朝関係の悪化を示す多くのエピソードがある。胡氏は84年5月、NHKとのインタビューで、口を極めて北朝鮮を批判、中国当局の要求でNHKは報道できなかったことがある。
趙紫陽氏は総書記就任直後の87年11月、北朝鮮の李根模(リグンモ)首相のソウル五輪不参加要請を一蹴(いっしゅう)、「貴国も改革・開放を」と説教し、李首相は帰国後失脚する。89年4月の学生デモのさなか、趙氏が訪朝したのも関係修復の必要からだった。
天安門事件は、中朝関係の転機になるかに見えた。トウ小平氏は11月6日の金日成氏との会見で、胡耀邦、趙紫陽両氏の「重大な錯誤」を社会主義原則への違反と説明、江沢民氏を高く評価した。これからは安心を、と言ったに等しい。
実際、江氏は金日成氏との会談で「血で固めた友好」を確認、翌90年3月には、就任後最初の外遊として北朝鮮を訪問した。これ以降、中国の対朝援助は急増していく。中国外務省のホームページには、金日成氏の訪中は11回載っているが、実際は50回以上という。90年9月の訪中も記載されていない。訪問先は東北の瀋陽で、トウ小平、江沢民氏らと個別に会談した(「トウ小平年譜」)。
トウ氏は9月12日に金日成氏と会談、翌日北京へ戻った。同月2日、シェワルナゼ・ソ連外相が訪朝、対韓国交樹立を通告しており、金日成氏が中国の動きを牽制(けんせい)するため申し入れた緊急協議といわれている。
「トウ小平年譜」によると、トウ氏は国際情勢の変化を指摘した後、「ソ連がどう変化するかよく分からず、冷静な対応が必要だし、忍耐も必要だ」と述べたが、中韓関係に関する発言は記載されていない。
当時の外相、銭其●(せんきしん)氏の回想録「外交十記」によると、トウ氏は85年以来、対韓関係は商取引上だけでなく、韓台関係を断絶させる上でも有利と話していた。銭氏は瀋陽会談について、トウ氏が出向いた事実も書いていない。
トウ小平氏は、少なくとも早期の中韓国交はないと述べたと思われる。それはその後の北朝鮮側の反応が示している。
中韓秘密交渉は92年2月に始まり、7月には基本合意した。同年4月に訪朝した楊尚昆(ようしょうこん)国家主席は金日成主席に、中韓が国交交渉中と告げる。金氏は「半島情勢は微妙な時期にある」とし中国側に再考を求めた。
「外交十記」によると、銭其●氏は92年7月、代表団を率いて訪朝、中韓国交への理解を求める江沢民氏のメッセージを伝える。金氏は中国の決定を理解するとし、さらにこう話す。
「われわれはなお中国との友好関係増進に努め、一切の困難を克服して自主的に社会主義を堅持し、社会主義建設を進める」
トウ小平氏が金日成氏と最後に会談したのは、この9カ月前の91年10月、金氏最後の訪中(公式)のときだった。トウ氏は「マルクス主義は絶対に放棄しない」と金氏に話す。中朝首脳会談は永遠の友誼(ゆうぎ)をうたった。
中韓国交合意の通告を受けたとき、金氏は、トウ小平同志によろしくと言い、代表団が持参した贈り物に目をやると別れを告げた。金氏は裏切られたと思ったに違いない。
「記憶する限り、金主席と中国代表団との会見で最も短時間だった。慣例の宴会への招待もなかった」(銭其●氏)
8月24日、中韓は国交を樹立、台湾は韓国と断交した。金日成氏は94年に死去し、後継者の金正日(キムジョンイル)氏が2000年5月に訪中するまで、中朝のトップ交流は途絶えた。
その間、中国は北朝鮮支援を続け、北朝鮮は、核を含めた軍事力増強に全力を挙げ、06年には核実験を強行した。その背景は複雑だが、トウ氏が導いた中韓国交がきっかけになったのも事実だ。(伊藤正)
●=深のさんずいを王に