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【トウ小平秘録】(149)第6部「先富論」の遺産 歴史問題
■日本国民の反感を買った
1998年2月、共同通信の犬養康彦社長(肩書は当時、以下同)が訪中、江沢民(こう・たくみん)国家主席と会見した。当時、同社編集局の国際担当だった記者(伊藤)も同行したが、受け入れ側の新華社は、事前提出した質問内容に難色を示し、何度もやりとりした末、質問は3項目に制限された。
共同社長の中国指導者との会見は、88年の趙紫陽(ちょう・しよう)総書記以来だった。当時の趙氏の発言は、外国通信社も伝え、国際的注目を浴びた。同様の期待を込め、会見場の中南海に向かった。
江沢民氏は新華社が用意したメモに目を通した後、スピーチを始めた。犬養社長が、孫文らと親交を持ち五・一五事件(32年)で殺された犬養毅首相の孫とメモにあったようで、江氏はそれにも触れて日中の交流史を述べ、「日本軍国主義の侵略」への反省が友好の基礎だと強調した。
10分ほどのスピーチを終えると江沢民氏は「本日は表敬訪問なので、ここまでにします」と言って立ち上がった。困ったと思う間もなく、犬養氏が声を上げた。
「主席、待ってください。質問があります」
江沢民氏は不機嫌そうに席に戻り、北朝鮮問題に関する質問にのみ答えた。新味はなかったが、辛うじて記事にはなった。
この年秋、江沢民主席は訪日し、至る所で「歴史問題」をぶち上げて、日本国民の反感を買った。事前の政府間事務折衝での合意に反し、「侵略」への反省と謝罪の文書化を要求さえした。
日中間で歴史問題が最大の障害になったのは89年の天安門事件後、江沢民政権が発足してからだった。それ以前も歴史認識をめぐり、中国側はしばしば日本批判を展開したが、日本側が反省の態度を示し、短期間に決着していた。
それが江沢民政権下では、反日愛国が全国民的教育運動になり、それが交流や交易に影響を及ぼすようになった。
江沢民主席訪日の20年前、訪日したトウ小平(しょうへい)氏は、昭和天皇の「過去に不幸な歴史があった」とのお言葉に、「ほんの一時期のこと」と述べて、問題にもせず、友好ムードをつくることに努めた。歴史問題は72年の国交正常化で解決済みとの立場だった。
歴史問題に関しては毛沢東の有名な言葉がある。64年7月に、佐々木更三氏ら社会党系5団体訪中団との会見で、次のように話した。
「日本の友人が皇軍の侵略を謝ったので、私はそうではないと言った。もし皇軍が侵略しなかったら、中国人民が団結し立ち向かうことも、共産党が権力を握ることもなかったのです」
毛沢東は、30年代に蒋介石軍の攻撃で革命根拠地を放棄して長征を行い、30万の軍が2万5000に減ったこと、日本軍の侵略により蒋介石が抗日で共産党と協力せざるを得なくなったことを話し、「これで皇軍に感謝しなくてよいと思いますか」と述べている。
トウ小平氏もこれと同じ話を77年10月に訪中した三岡健次郎元陸将らにしている。それは毛沢東が対日正常化前、反日感情を抑制するために行った教育運動に基づいてもいた。
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■保守派との調和を狙った
トウ小平(しょうへい)氏が1978年に実権を掌握し改革・開放を開始してからしばらく、中国側の歴史問題への態度は、日中正常化時の共同声明と78年締結の日中平和友好条約で解決し、友好協力関係を推進する基礎ができたというものだった。
これを受け、最も積極的な親日政策をとったのが胡耀邦(こ・ようほう)総書記(肩書は当時、以下同)だった。胡氏と親交を結び、80年代半ばの日中友好高潮期を演出した中曽根康弘首相は2004年に出版した「自省録」(新潮社)の中で、「中曽根と親しくなりすぎて日本にサービスしたと保守派から非難されたようだ」と書く。
中曽根氏の85年の靖国神社参拝が胡耀邦氏を窮地に追い込んだことは、第5部「最高実力者」で書いた通りだ。中曽根氏は翌年、靖国参拝をやめたのは「もし彼が失脚すれば世界と日本の甚大な損害だ」からと述べている。
胡氏に近い人物の証言によると、胡氏は日本の戦後発展は平和主義と民主主義、そして教育にあるとし、それを中国は学ぶべしと考えていたという。そうした考えは当時の権力中枢にいた長老たちの反感を買い、胡氏は87年に辞任する。
トウ小平氏は82年の教科書問題以後、歴史問題を含め対日批判をするようになった。しかしその多くは保守派長老との調和のためで、対日協力が基本だった。80年代の経済建設に日本は不可欠だったからだ。
天安門事件後、歴史批判は鳴りを潜めた。日本は西側の対中制裁解除の先陣を切り、米中関係の修復にも貢献したこともあり、トウ小平氏の公式発言には、歴史批判は一つも記録されていない。
歴史問題の復活は、トウ氏が政治とのかかわりをしなくなった93年からだった。江沢民(こう・たくみん)政権は愛国主義教育の普及を正式に打ち出し、抗日戦争記念館を各地に建設していく。天安門事件で失われた党への求心力回復に、抗日戦争における民族の団結と共産党の貢献を宣伝する狙いだった。
2002年、人民日報の馬立誠(ば・りっせい)評論員が論文「対日外交の新思考」を発表、歴史問題へのこだわりを批判したが、愛国主義教育を受けたネット世代の罵倒(ばとう)を浴びただけだった。胡錦濤(こ・きんとう)政権の「新思考」への転換を図る動きにも、ネット世代が立ちはだかる。
「江沢民チルドレン」と呼ばれる世代の登場は、おそらくトウ小平氏の想定外だったろう。それは政権の理性的対日政策を妨げ、共産党の権威を損なう一因にもなっている。しかしそれもトウ氏の遺産にほかならない。(伊藤正)

