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【トウ小平秘録】(148)第6部「先富論」の遺産 対米協調路線

2008.2.16 03:41
このニュースのトピックストウ小平秘録
2006年4月20日、訪米した胡錦濤国家主席のためにホワイトハウスで行われた歓迎式典。胡主席は終了前に降壇しかけ、ブッシュ大統領は袖を引かれた(ロイター)2006年4月20日、訪米した胡錦濤国家主席のためにホワイトハウスで行われた歓迎式典。胡主席は終了前に降壇しかけ、ブッシュ大統領は袖を引かれた(ロイター)

 ■トップになろうとするな

 毛沢東は1974年5月、訪中したヒース元英首相との会見で、「私には中国の統一問題は解決できそうもない。それは彼らの仕事だ」と言い、トウ小平(しょうへい)氏を指さした。中国中央テレビが2004年に放映した「百年小平」には、緊張したトウ氏の表情が写っている。

 宿敵、蒋介石に統一へ圧力を加え続けた毛沢東と違い、トウ小平氏は「一国二制度」を打ち出し平和解決を目指したが、その基礎には対米協調路線があった。米国の協力が改革・開放の推進と台湾問題の解決に不可欠だったからだ。

 トウ小平氏の訪米(79年1月)に同行した李慎之(りしんじ)元中国社会科学院副院長の証言として、トウ氏が対米重視の理由として「米国についていった国はみな富強になった」と述べたことは本連載第5部「最高実力者」で紹介した。

 トウ氏は、経済建設を最優先課題にし、台湾問題の平和解決方針も米国を安心させる方便にしたが、訪米に先立つ国交交渉でもトウ氏が決着を急いで妥協、禍根を残した、と中国のある国際問題専門家は話す。

 「国交交渉の争点は、米台の公式関係断絶と米国の対台湾武器輸出中止だったが、あいまいさを残した。その結果、米側は台湾関係法を制定、準公式関係を維持し、武器輸出も継続した」

 台湾問題が現在も、米中間の「最大障害」になっている一因は、国交交渉にあったというわけだが、72年のニクソン訪中から7年間も続いた未国交状態の打開に、トウ氏は現実的な対応をしたともいえる。

 当時の中国外相、黄華(こうか)氏は昨年出版した回顧録「親歴与見聞」(世界知識出版社)で、トウ氏の外交思想の6点の特徴を挙げている。その一つは70年代末に指示した「韜光養晦(とうこうようかい)」(能力を隠し謙虚なこと)だ。

 トウ氏はその際、「決してトップになろうとするな。わが国力は強くなく、何でもできると考えてはならない。さもないと、積極的行動は失敗する」と話したという。

 トウ小平氏は80年代以降、米国の台湾政策だけでなく、覇権主義や人権外交など多くの問題で対米批判を重ねた。89年の天安門事件後には、米国の内政干渉を非難し、反和平演変(平和的手段による体制転化)キャンペーンに同調もした。

 しかし、対米協調路線は基本的に貫き、「韜光養晦」は対米関係で最も顕著だった。天安門事件後に反米機運が高揚する中で、当時のブッシュ大統領の密使を受け入れたり、ブッシュ氏と密書を交換したりし、北京の米大使館に保護されていた「反革命犯」方励之(ほうれいし)氏の出国も認めた。

 トウ氏の親米路線は、超大国・米国との協調が必要だったとの実用主義的側面だけではなかった。ニクソン、キッシンジャー氏ら「古い友人」との交友を通じ、米国人を信頼し尊重していた。

 その原点は、30年代の延安時代、ジャーナリストのエドガー・スノー氏ら米国人との接触にあるのかもしれない。毛沢東らと同様、トウ氏も米国人の率直さとパイオニア精神に触れた。それはトウ氏の特質でもあった。

 ■「爆弾」が引き継がれた

 1989年の天安門事件と冷戦終結、それに続くソ連邦の解体など、国際環境が激変する中で、江沢民(こうたくみん)総書記(肩書は当時、以下同)を「核心」とする中国共産党は独裁堅持のために、国内の思想引き締めを強化、反ブルジョア自由化、反和平演変運動を進めた。

 当時、一世を風靡(ふうび)した論客に中国社会科学院の何新(かしん)研究員(後に政治協商会議全国委員)がいた。国内外のメディアに頻繁に登場、新保守主義の旗手と呼ばれ、青年層だけでなく一部指導者にも影響を与えた。

 何新氏と従来の保守理論家との違いは、米国の世界制覇への野心を警告、毛沢東の自力更生路線への回帰を主張し、対米協調による市場経済化、つまりトウ小平(しょうへい)氏の路線を批判した点だった。その強烈な民族主義は、後に反米・反日の「ノーと言える中国」世代を生む。

 87歳のトウ小平氏が92年1月に南方視察を敢行、改革・開放加速を号令する「南巡講話」をしたのも、反米主義の高揚への懸念からに違いない。トウ氏は江沢民指導部に、米国とは「協調し対抗せず」と指示していた。

 92年秋の第14回党大会後、江沢民政権は市場経済化を推進、経済発展を図る一方、対米関係の修復に努める。93年11月、シアトルのアジア太平洋経済協力会議(APEC)でクリントン米大統領は江沢民氏を招いて会談、関係改善に向かう。

 しかしトウ小平氏の老衰が著しくなった94年以降、経済のグローバル化が進む中で急成長を続けた中国は、軍事力を増強した。米側には中国脅威論が生まれ、中国側もロシアと軍事面を含め協力を拡大、米一極支配に挑戦していく。

 そうした中で、95年の李登輝台湾総統の訪米を機に中国側は、台湾への軍事圧力を強めると同時に、米国非難キャンペーンを展開、翌春には中国軍のミサイル演習に対して米第7艦隊が急派される事態に発展した。

 その後も米中間にはさまざまな問題、摩擦が発生したが、その都度、克服してはさらに関係が発展するというパターンが続く。今日、米国は中国にとって最重要のパートナーになった。

 その基礎はトウ小平氏の対米協調による改革・開放が築いたのは明らかだ。しかし、強大化した中国が、米国と敵対する可能性は米中双方で指摘されている。最大の「爆弾」が、胡錦濤(こきんとう)政権に引き継がれた台湾問題にほかならない。(伊藤正)

                   ◇

【用語解説】「ノーと言える中国」

 1996年に出版された書名で、原題は「中国可以説不」。20代から40代のジャーナリスト、作家ら5人の共著。米国の政治や社会、中国とのかかわりなどへの批判が中心だったが、同年刊行の続編では日本批判に重点が移った。中国人に誇りを持てと訴えることに著者らの狙いがあり、中国の経済成長を背景にした民族主義思潮を反映している。出版と同時にベストセラーになり、「ノーと言える世代」との表現が生まれた。

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2006年4月20日、訪米した胡錦濤国家主席のためにホワイトハウスで行われた歓迎式典。胡主席は終了前に降壇しかけ、ブッシュ大統領は袖を引かれた(ロイター)
2002年2月21日、訪中したブッシュ米大統領は北京の人民大会堂で江沢民国家主席(当時)との共同記者会見にのぞんだ(ロイター)
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