ニュース: 国際 RSS feed
【トウ小平秘録】(148)第6部「先富論」の遺産 対米協調路線
■トップになろうとするな
毛沢東は1974年5月、訪中したヒース元英首相との会見で、「私には中国の統一問題は解決できそうもない。それは彼らの仕事だ」と言い、トウ小平(しょうへい)氏を指さした。中国中央テレビが2004年に放映した「百年小平」には、緊張したトウ氏の表情が写っている。
宿敵、蒋介石に統一へ圧力を加え続けた毛沢東と違い、トウ小平氏は「一国二制度」を打ち出し平和解決を目指したが、その基礎には対米協調路線があった。米国の協力が改革・開放の推進と台湾問題の解決に不可欠だったからだ。
トウ小平氏の訪米(79年1月)に同行した李慎之(りしんじ)元中国社会科学院副院長の証言として、トウ氏が対米重視の理由として「米国についていった国はみな富強になった」と述べたことは本連載第5部「最高実力者」で紹介した。
トウ氏は、経済建設を最優先課題にし、台湾問題の平和解決方針も米国を安心させる方便にしたが、訪米に先立つ国交交渉でもトウ氏が決着を急いで妥協、禍根を残した、と中国のある国際問題専門家は話す。
「国交交渉の争点は、米台の公式関係断絶と米国の対台湾武器輸出中止だったが、あいまいさを残した。その結果、米側は台湾関係法を制定、準公式関係を維持し、武器輸出も継続した」
台湾問題が現在も、米中間の「最大障害」になっている一因は、国交交渉にあったというわけだが、72年のニクソン訪中から7年間も続いた未国交状態の打開に、トウ氏は現実的な対応をしたともいえる。
当時の中国外相、黄華(こうか)氏は昨年出版した回顧録「親歴与見聞」(世界知識出版社)で、トウ氏の外交思想の6点の特徴を挙げている。その一つは70年代末に指示した「韜光養晦(とうこうようかい)」(能力を隠し謙虚なこと)だ。
トウ氏はその際、「決してトップになろうとするな。わが国力は強くなく、何でもできると考えてはならない。さもないと、積極的行動は失敗する」と話したという。
トウ小平氏は80年代以降、米国の台湾政策だけでなく、覇権主義や人権外交など多くの問題で対米批判を重ねた。89年の天安門事件後には、米国の内政干渉を非難し、反和平演変(平和的手段による体制転化)キャンペーンに同調もした。
しかし、対米協調路線は基本的に貫き、「韜光養晦」は対米関係で最も顕著だった。天安門事件後に反米機運が高揚する中で、当時のブッシュ大統領の密使を受け入れたり、ブッシュ氏と密書を交換したりし、北京の米大使館に保護されていた「反革命犯」方励之(ほうれいし)氏の出国も認めた。
トウ氏の親米路線は、超大国・米国との協調が必要だったとの実用主義的側面だけではなかった。ニクソン、キッシンジャー氏ら「古い友人」との交友を通じ、米国人を信頼し尊重していた。
その原点は、30年代の延安時代、ジャーナリストのエドガー・スノー氏ら米国人との接触にあるのかもしれない。毛沢東らと同様、トウ氏も米国人の率直さとパイオニア精神に触れた。それはトウ氏の特質でもあった。
■「爆弾」が引き継がれた
1989年の天安門事件と冷戦終結、それに続くソ連邦の解体など、国際環境が激変する中で、江沢民(こうたくみん)総書記(肩書は当時、以下同)を「核心」とする中国共産党は独裁堅持のために、国内の思想引き締めを強化、反ブルジョア自由化、反和平演変運動を進めた。
当時、一世を風靡(ふうび)した論客に中国社会科学院の何新(かしん)研究員(後に政治協商会議全国委員)がいた。国内外のメディアに頻繁に登場、新保守主義の旗手と呼ばれ、青年層だけでなく一部指導者にも影響を与えた。
何新氏と従来の保守理論家との違いは、米国の世界制覇への野心を警告、毛沢東の自力更生路線への回帰を主張し、対米協調による市場経済化、つまりトウ小平(しょうへい)氏の路線を批判した点だった。その強烈な民族主義は、後に反米・反日の「ノーと言える中国」世代を生む。
87歳のトウ小平氏が92年1月に南方視察を敢行、改革・開放加速を号令する「南巡講話」をしたのも、反米主義の高揚への懸念からに違いない。トウ氏は江沢民指導部に、米国とは「協調し対抗せず」と指示していた。
92年秋の第14回党大会後、江沢民政権は市場経済化を推進、経済発展を図る一方、対米関係の修復に努める。93年11月、シアトルのアジア太平洋経済協力会議(APEC)でクリントン米大統領は江沢民氏を招いて会談、関係改善に向かう。
しかしトウ小平氏の老衰が著しくなった94年以降、経済のグローバル化が進む中で急成長を続けた中国は、軍事力を増強した。米側には中国脅威論が生まれ、中国側もロシアと軍事面を含め協力を拡大、米一極支配に挑戦していく。
そうした中で、95年の李登輝台湾総統の訪米を機に中国側は、台湾への軍事圧力を強めると同時に、米国非難キャンペーンを展開、翌春には中国軍のミサイル演習に対して米第7艦隊が急派される事態に発展した。
その後も米中間にはさまざまな問題、摩擦が発生したが、その都度、克服してはさらに関係が発展するというパターンが続く。今日、米国は中国にとって最重要のパートナーになった。
その基礎はトウ小平氏の対米協調による改革・開放が築いたのは明らかだ。しかし、強大化した中国が、米国と敵対する可能性は米中双方で指摘されている。最大の「爆弾」が、胡錦濤(こきんとう)政権に引き継がれた台湾問題にほかならない。(伊藤正)
◇
【用語解説】「ノーと言える中国」
1996年に出版された書名で、原題は「中国可以説不」。20代から40代のジャーナリスト、作家ら5人の共著。米国の政治や社会、中国とのかかわりなどへの批判が中心だったが、同年刊行の続編では日本批判に重点が移った。中国人に誇りを持てと訴えることに著者らの狙いがあり、中国の経済成長を背景にした民族主義思潮を反映している。出版と同時にベストセラーになり、「ノーと言える世代」との表現が生まれた。


