MSN Japanのニュースサイトへようこそ。ここはニュース記事全文ページです。

【トウ小平秘録】(147)第6部「先富論」の遺産 一国二制度

2008.2.15 03:31
このニュースのトピックストウ小平秘録
中国の福建省アモイ市の海岸近くにある、台湾に向けた巨大な看板。「一国二制、統一中国」(一国二制度で中国を統一)と書かれている=1月(矢板明夫撮影)中国の福建省アモイ市の海岸近くにある、台湾に向けた巨大な看板。「一国二制、統一中国」(一国二制度で中国を統一)と書かれている=1月(矢板明夫撮影)

 ■両岸分断を固定化した

 「民主と自由はすべての人のためにある、が私の信念です。(それを武力で鎮圧した)天安門事件(1989年)は決して許されず、私は毎年6月4日の記念日には犠牲者への追悼を欠かしたことがありません」

 2007年11月21日、台湾の野党、国民党の総統候補である馬英九(ばえいきゅう)氏は同志社大学での講演でこう述べた。馬氏は独立派の陳水扁(ちんすいへん)総統と違い、「中国は一つ」の立場だが、従来「天安門事件の名誉回復なしに、統一の話に乗らない」と強調してきた。

 88年1月の蒋経国(しょうけいこく)総統の急死で挫折したトウ小平(しょうへい)氏の祖国統一戦略に、天安門事件が致命的打撃を与えた。台湾の民主化とともに、統一拒否の機運が一気に高まったからだ。

 蒋経国氏の後を継ぎ本省(台湾)人で初の総統になった李登輝(りとうき)氏は就任当初、蒋氏の「一つの中国」政策を引き継ぎ、対中交流を担当する「大陸工作指導小組」を成立させるなど関係融和策をとり、香港経由の交易や親族訪問などの人的交流が進んだ。

 しかし、天安門事件で状況は一変する。李登輝氏は中国共産党(中共)を厳しく非難、李氏周辺を固めていた、外省人(大陸出身)の元蒋経国氏側近たちは早期統一を口にしなくなった。外省人の代表格で、中共との共存論者だった李煥(りかん)行政院長(首相)は立法院(国会)での答弁で、「中共は(匪賊(ひぞく)時代と)何も変わっていない。警戒を強めねばならない」と述べた。

 90年に総統に再任された李登輝氏は、「一国二政府」論者で、台湾を独立した政体と主張し、天安門事件後に強硬派が権力を握った中国を尻目に政治改革や民主化を大胆に推進、「民主主義国家」への道をひた走った。

 92年には、国民党が大陸時代に選出した委員が独占していた立法院を直接選挙で全面改選、その結果、誕生して間もない民進党が約3分の1の議席を占め、国民党の一党独裁は名実ともに終結。96年には初の民選による総統選を実施、李氏が民進党候補を破り当選した。

 この総統選に際し、中国側は李登輝氏を「独立派」として激しく攻撃、台湾近海で大規模な軍事演習を実施したが、逆効果になり、李氏の得票は50%を超えた。台湾住民の「独立」志向は強まり、2000年の総統選では、民進党の陳水扁氏が当選(04年に再選)する。

 蒋経国氏の死去後、トウ小平氏は「早期統一は困難」とみるようになった。蒋経国以後の変化を予測したためかもしれない。政治権力が民意に左右される民主主義体制では、トウ氏のような独裁的権力者は生まれない。蒋氏はトウ氏に匹敵し得る台湾最後の権力者だった。

 蒋経国氏を交渉のテーブルに着かせるトウ氏の切り札が「一国二制度」だった。それは胡錦濤(こきんとう)政権も引き継いでいるが、「分断」を固定化したとの批判も出始めた。

                   ◇

 ■新しいアイデアが出ない

 1988年に李登輝氏が総統に就任して以来、現在の陳水扁政権までの20年間、中台の政治関係は悪化の一途をたどったが、経済関係や人的交流は拡大し続けた。天安門事件も民間交流に影響はなかった。

 事件後、西側諸国が経済制裁で企業を撤収ないし進出を制限したすきを突くように、台湾企業は対中進出に積極的だった。88年8月に中国政府が台湾側の投資を受け入れる方針を発表してから約4年間に、台湾企業は総額30億ドルを中国に投資、3000余の工場を設立した。

 中国の経済発展に伴って、中台の経済交流は飛躍を続けた。中国側統計では、2007年の台湾の対中投資は約100億ドル、貿易額も1200億ドルを突破、台湾紙「経済日報」によると、台湾の対中貿易依存度は4割に達した。同年の台湾から大陸への渡航者は延べ400万人を超えた。

 しかし双方の窓口間の接触が1993年に不調に終わった後は、統一への展望はない状態が続く。中国側は、2005年に反国家分裂法を制定、国民党の連戦(れんせん)主席(当時)を招いたり、国際的な封じ込めを強めたりし、陳水扁政権の「独立」志向を牽制(けんせい)する一方、農産品などへの関税免除など台湾にさまざまな優遇措置をとってきたが、台湾の民意が統一に向かう気配はない。

 中国のある高官は匿名を条件に、台湾統一工作の行き詰まりを認め、トウ小平氏の「一国二制度」の限界をこう指摘した。

 「平和的統一を目指す一国二制度は、トウ小平が打ち出した30年前には有効だった。しかし台湾の政治体制も中台の力関係も国際情勢も、当時とは大きく変わった今日、新しい統一のアイデアが必要だ。一国二制度は現状を固定化させているだけだ」

 「中国は一つ」、つまり北京の主権を受け入れれば、軍隊の保持を含め高度の自治権を認めるというのが「一国二制度」だ。しかし現在は、中国側にとっては台湾独立を防止することが主目的になっている観がある。

 先の高官は「統一工作は硬直化しており、トウ小平の呪縛(じゅばく)をふりほどく必要がある」と述べたが、「新しいアイデア」については語らなかった。「武力解放」は現実的な選択肢ではない。

 ある知識人は「一国一制度」以外にないという。台湾住民が統一を受け入れる条件は中国が民主体制に移行することだ、というのだが。(伊藤正、矢板明夫)

このニュースの写真

中国の福建省アモイ市の海岸近くにある、台湾に向けた巨大な看板。「一国二制、統一中国」(一国二制度で中国を統一)と書かれている=1月(矢板明夫撮影)
台湾初の民選による総統選で当選し、1996年5月20日、桃園県立体育館で行われた就任式で演説する李登輝氏(清藤拡文撮影)

関連トピックス

PR
PR

PR

イザ!SANSPO.COMZAKZAKFuji Sankei BusinessiSANKEI EXPRESS
Copyright 2008 The Sankei Shimbun & Sankei Digital
このページ上に表示されるニュースの見出しおよび記事内容、あるいはリンク先の記事内容は MSN およびマイクロソフトの見解を反映するものではありません。
掲載されている記事・写真などコンテンツの無断転載を禁じます。