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【トウ小平秘録】(144)第6部「先富論」の遺産 中台の最前線

2008.2.10 02:00
このニュースのトピックスミャンマー情勢
金門島を背に、記念写真を撮る中国人観光客=1月(矢板明夫撮影)金門島を背に、記念写真を撮る中国人観光客=1月(矢板明夫撮影)

 ■緊張感消え観光名所に

 中国共産党大会や全国人民代表大会(国会)などの活動報告に、欠かさず盛り込まれるフレーズに「祖国統一」がある。トウ小平(しょうへい)氏が目指し、いまだに実現のめどがつかない唯一の事業が台湾との統一だ。統一工作の最前線、福建省の廈門(アモイ)で近況を見てきた。

 廈門の目の前に「台湾」はある。台湾が支配する金門島だ。廈門から「金門島観光」の船に乗った。といっても上陸するわけではなく、約10キロ先にある島の100メートル近くまで行くだけだ。

 「見えたぞ!」

 乗船して30分ほどして、中年の男が大声で叫んだ。乗客数十人が一斉にカメラを構え、男の指さす方向に向けシャッターを切る。

 島の軍事施設の白壁に赤字で大きく書かれた『三民主義』『統一中国』(中国を統一する)という台湾側のスローガンが、彼らのお目当てだった。その文字をバックに乗客たちが記念撮影を終えると、船は引き返し始めた。

 「三民主義」は中華民国を創設した孫文(そんぶん)が唱道した民主主義理念で、共産主義とは一致しないが、毛沢東時代以来、大陸でも台湾同様、孫文は「国父」として尊敬されている。

 「統一中国」は、共産党との内戦で敗れ、台湾に逃れた蒋介石(しょう・かいせき)が、中国の盟主に復帰する「大陸反攻」を掲げたときのスローガンで、「共産党打倒」への決意が込められていた。

 それはいま、「祖国統一」と重なり、中国側が観光客に見せるのに何の問題もなくなった。廈門の女性ガイド(23)によると、シーズンオフの1月でも毎日、中国各地から数百人の観光客が、このスローガンを見に来るという。

 船賃は120元(約1800円)と安くはない。なぜ人気があるのかと聞くと、女性ガイドはこう答えた。

 「金門島砲撃当時の緊張感を味わってみたいという人が多いのよ。私たち若者にはちょっと理解できないけど」

 金門島は台湾軍の防衛の最前線として1979年までは、大陸側と1日置きに砲撃を繰り返していた。互いに「中国は一つ」を確認する儀式だったが、過去には何度か、本格的砲撃戦が行われ、一触即発の緊張が続いた。

 新中国成立直後の49年10月、解放軍が金門島上陸に失敗した後、毛沢東は台湾進攻計画を立てたが、50年の朝鮮戦争勃発(ぼっぱつ)で冷戦が本格化、米国が台湾防衛を強化し、未遂に終わる。しかし54年と58年の台湾海峡危機で中国軍は金門島を砲撃、台湾軍も応じて双方に多数の死傷者を出した。

 その金門島には、現在も台湾の守備兵が駐屯し、大陸側に面したところには砲撃に備えたコンクリートの高い壁がある。双眼鏡で見ると、壁の上には銃を持った兵士の姿も確認できた。

 しかし、どこにも緊張感はない。手続きを取れば、大陸側住民が島に上陸し、観光することも可能になった。それはトウ小平氏の台湾政策によってもたらされた。

                   ◇

 ■「現状維持派」が増える

 トウ小平(しょうへい)氏は、1978年末に事実上の最高権力を握り、改革・開放に転換する直前の10月、評論家の江藤淳氏と会見した際、「中国の対台湾政策は台湾の現実に基づいて処理することだ」と話した。

 台湾の現実とは、日米両国が台湾に多額の投資をしている事実であり、台湾の武力解放の権利は放棄しないが、平和解決が基本だというのがトウ氏の発言の意味だった。

 その翌月、トウ小平氏は訪問先のミャンマーで、「台湾は社会制度を変えなくていい」と発言、「一国二制度」(一つの国の中に資本主義、社会主義の二制度が存在する)の方法で台湾問題を解決する可能性に言及した。一国二制度は、香港やマカオの返還を実現する決め手になったが、本来の狙いは台湾との統一にあった。

 79年元日、中国国防省は20年以上続けてきた金門島砲撃の中止を発表。同日、全国人民代表大会常務委員会は、葉剣英(よう・けんえい)委員長名で、「台湾同胞に告げる書」を発表し、平和統一を呼びかけた。

 中国の対台湾政策はこの年を境に、「武力解放」から「平和統一」へ転換した。その背景や、その後の中台関係の展開については次回以降書くが、経済関係が発展し、人的交流が盛んになる一方で、統一への道はなお遠いように見える。

 毛沢東(もう・たくとう)、トウ小平、江沢民(こう・たくみん)とだれも成就できなかった「祖国統一」を達成しようと、胡錦濤(こ・きんとう)政権はさまざまなアプローチを重ねてきた。その悩みは、台湾と同じく、大陸側でも若者を中心に「現状維持派」が増えていることだと関係筋は言う。

 「一つの中国」を脅かす台湾の「一中一台」(一つの中国、一つの台湾)の動きに、中国は神経をとがらせると同時に、国内の宣伝、教育活動も必要になってきた。

 台湾への移民が最も多かったとされる福建省泉州に2006年5月、「●台縁(びん・たいえん)」(福建と台湾の縁)という名のついた巨大な博物館がオープンしたのも、そうした必要からとみられている。

 この博物館は政治局常務委員の李長春(り・ちょうしゅん)氏の指示で建設されたという。総工費1億8000万元(約27億円)、建物面積2万3000平方メートル。7つの展示室があり、福建省と台湾の歴史的、文化的な深い関係を展示品で強調する。

 入場は無料で、地元の小中学生や各地からの観光客も対象にしているが、中国に反感を持つ台湾人に中国への親近感を持ってもらう狙いがあるそうだ。しかし、福建在住の台湾人ビジネスマンの反応は冷ややかだった。

 博物館には1月中旬の平日の午後、取材に行った。約1時間の取材中、同館の参観者は一人も見かけなかった。(伊藤正、矢板明夫)

●=もんがまえに虫

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金門島を背に、記念写真を撮る中国人観光客=1月(矢板明夫撮影)
福建省の泉州市内に2006年にオープンした「中国●台縁博物館」。福建省と台湾の深い関係を紹介している。●は福建省の別名=撮影・矢板明夫(●=もんがまえに虫)

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