ニュース: 国際 RSS feed
【トウ小平秘録】(143)第6部「先富論」の遺産 「中国靴都」発展史
■コピー製品も成長支えた
台湾海峡に臨む福建省東南部の晋江市に陳●(ちんたい)鎮という人口約8万の町がある。中国最大の靴生産基地で、昨年は運動靴を中心に6億5000万足を生産、100以上の国・地域に輸出もし、「中国靴都」の異名を取る。その発展史は、改革・開放時代を象徴している。
陳●鎮は1970年代末に改革・開放が始まったときには、農業と漁業で細々と生計を立てていた寒村だった。いま、町には大小3000を超える靴工場が立ち並ぶ。
公式統計によると、78年当時の工農業生産は1333万元だったが、2006年には186億6000万元になった。急成長の大半は靴生産関連産業が生んだものだ。運動靴の国内シェア5年連続トップの「安踏」(ANTA)は07年に香港の株式市場に上場した。
「靴都」誕生のきっかけは、米国の大手スポーツ用品メーカー「ナイキ」が、安価な労働力に目をつけ、1980年代初めに加工工場を設立したことだった。製品は「ナイキ」の中国外向けとして輸出された。
83年に問題が起こる。生産ラインの欠陥などによる不良品への苦情が相次ぎ、返品の山になった。ナイキの不良品破棄の指示に反し、工場側はそれを格安で国内市場に流した。ナイキは工場を閉鎖、撤退した。仕事を失った工場の従業員らは、親族などから資金を集め、小規模の工場を次々とつくりだす。ナイキ工場で身につけたノウハウを生かし、ナイキのコピー製品などを作って格安で売り、徐々に工場と市場を広げていった。
陳●鎮の靴産業の発展には、福建省のトップ、項南(こうなん)党委員会書記(肩書は当時、以下同)の郷鎮企業(農村企業)振興策が大きな力になった。項書記は、「改革先鋒(せんぽう)」と呼ばれた積極改革派で、トウ小平(しょうへい)氏や胡耀邦(こようほう)総書記の全面的支持を受けていた。
84年にトウ小平氏は経済特区の廈門(アモイ)を視察した際、国際空港建設計画を支持、同時に、クウェートの銀行の融資で建設することも承認した。項氏は生まれて間もない郷鎮企業に対外輸出を全国に先駆けて認めたことでも知られる。
項南書記は思想を解放し、あらゆる手段を動員して豊かになれ、というトウ小平氏の発展理論の忠実な実行者であり、福建省の発展に力を尽くしたが、彼の足をすくう事件が陳●鎮で起こる。
85年夏に全国的話題になった「晋江偽薬事件」だ。香港で2004年に出版された「項南伝」などによると、1984年、陳●鎮の一部郷鎮企業が地元名産の白きくらげに砂糖を加えて、風邪薬として売り出した。もちろん効き目はない。
地元政府が問題を発見、すぐに生産を停止させ、製品も破棄させた。しかし、問題が中央規律検査委第一書記の陳雲氏に報告されると、人民日報などメディアを総動員した批判キャンペーンを展開、項南氏はピンチに立たされた。
改革・開放が大きな成果を上げる一方で、あちこちでひずみが目立ち始める。
◇
■発展のツケが回ってきた
中国共産党中央規律検査委第一書記の陳雲氏ら保守派は1985年6月、項南福建省書記(肩書は当時、以下同)が、金もうけのために国民の健康を危険にさらす偽薬まで作る郷鎮企業を野放しにした−と攻撃した。真の標的はトウ小平氏であり、改革・開放だった。
陳雲氏は、「資本主義の道を歩む自由派」項南氏の解任を要求したが、胡耀邦(こようほう)総書記は「項南書記に直接の責任はない」とかばった。党中央の現地調査でも、偽薬による健康被害はないとしていた。
しかし、項南氏は間もなく解任されてしまう。項氏はこれに不服で、トウ小平氏に直訴状を送ったが、トウ氏からの返事はなかった。トウ氏は保守派の意図を察知し、項南氏を犠牲にせざるを得なかったとみられている。
「項南伝」によると、86年9月、項南氏は、「晋江偽薬事件」に関する中央規律検査委の「判決」が公表された直後、トウ小平氏の長男、トウ樸方(ぼくほう)氏の訪問を受ける。トウ小平氏の指示で、慰問に行ったのだ。
この数カ月後の87年1月、胡耀邦総書記も解任された。
このように、改革・開放の過程で、改革派の指導者が何人も失脚したが、市場経済化の流れは止まらず、中国は「世界の工場」へと成長していく。それを可能にしたのは、中国国民の貧しさから脱し、豊かさを求めるエネルギーだった。
しかし、その中では、「晋江偽薬事件」とは違って、国民の生命や健康を奪う偽薬や有毒食品事件が頻発、中国への信頼度を失う製品が作られ、知的所有権の侵害も絶えなかった。
陳●鎮では、環境汚染が進んでいた。製靴工場などの廃液垂れ流しで、鎮内の川や用水路はどこも黒く染まり、強い悪臭が鼻をつく。地元民によると、井戸水も水道水も異臭がして飲めなくなり、シャワーを浴びた後、湿疹(しっしん)ができることもよくあるという。
地元のメディアは鎮の水問題を取り上げているが、鎮政府の対応は十分ではない。製靴工場数があまりにも多く、しかも地元経済の支柱であることも一因だ。
タクシーの男性運転手は「靴工場オーナーは一人も陳●鎮に住まず、アモイなどの近隣都市に住宅を買ってそこから通っている。ここの住人は出稼ぎか、貧乏人だ」と言った。
鎮には30万人の出稼ぎ農民がいる。その低賃金が「中国靴都」の発展を支え、金持ち階級を生み出している。目を見張る中国の発展の裏側にくっきりと見える、典型的な構図だ。(伊藤正、矢板明夫)
●=土ヘンに隶



