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【トウ小平秘録】(142)第6部「先富論」の遺産 大寨の鉄の娘

2008.2.8 03:21
このニュースのトピックス
山西省・虎頭山のふもとにある陳永貴氏の石像。変転を重ねる大寨村を見下ろしている=2007年12月、矢板明夫撮影山西省・虎頭山のふもとにある陳永貴氏の石像。変転を重ねる大寨村を見下ろしている=2007年12月、矢板明夫撮影

 ■モデル村は変転を重ねる

 中国現代史に興味がなくても、「大寨(だいさい)」の名を知る人は少なくないだろう。前回紹介した革命根拠地「左権県」と同じ山西省の太行山脈中にある。毛沢東時代、自力更生のモデルになり、「農業は大寨に学ぶ」運動が全国を席巻した、あの村だ。

 いま、大寨は別の意味で注目されている。

 大寨は山西省の省都、太原市の南東170キロ、標高1600メートルの虎頭山のふもとにある人口500人余りの山村。村の公式資料によると、2006年の域内総生産(GDP)は1億2000万元(1元は約15円)、うち農業生産は2%しかない。

 大寨が農業のモデルだった時代ははるかな過去になり、村は、一つの企業集団に変貌(へんぼう)した。毛沢東路線の伝道者という重い荷物を背負った村がたどった道のりは、平坦(へいたん)ではなかった。

 大寨が毛沢東によって農業のモデルにされたのは1964年だった。人民公社の時代で、400人足らずの村は大寨生産大隊と呼ばれていた。

 陳永貴(ちんえいき)党支部書記は50年代から、虎頭山山腹に段々畑造りを始め、耕地を拡大した。64年の大洪水で段々畑が崩れたとき、村民総出で修復。それを毛沢東が自力更生、刻苦奮闘の精神としてたたえ、全国の模範になった。

 大寨は文化大革命期には、単に農業のモデルではなくなる。毛沢東の階級闘争路線の実践として、極左派によって政治的に利用された。陳永貴氏は69年に党中央委員、73年に政治局員、75年に副首相と出世の階段を上っていった。

 トウ小平(しょうへい)氏は2度、大寨を訪問している。最初は、文革初期の失脚から復活して間もない73年6月、アフリカ・マリの代表団の案内役だった。そのときは当然、大寨をたたえる言葉を残している。

 2度目は75年9月、「農業は大寨に学ぶ」第1回全国会議だった。病気の周恩来首相に代わって近代化を進めていたトウ氏は、この会議で江青夫人と激突した。トウ氏の進める近代化は、極左派の階級闘争論や精神主義とは相いれなかったから当然だ。

 76年に文革が終結、78年末にトウ小平氏が権力を握り、改革・開放に転換すると、大寨の凋落(ちょうらく)が始まる。それ以前から、大寨の水利建設などに国家資金が投じられ、自力更生はまやかしと暴露されていた。

 陳永貴氏は80年秋に副首相を解任、陳氏の右腕で大寨の党支部書記だった「鉄の娘」こと、郭鳳蓮(かくほうれん)氏は、大寨指導部から追放された。村は83年に生産大隊を解散、個人請負制に移行したが、過去の大寨精神を引きずり長期低迷が続く。

 転機は91年、郭鳳蓮氏が村の指導者として復帰してから訪れた。郭氏は92年1月、トウ小平氏が改革・開放を号令した「南巡講話」に強い刺激を受ける。

 郭氏は当時、貧困農村に企業を興し、中国一の富裕村と評判をとった天津市郊外の大邱莊を視察に行く。その際、大邱莊の禹作敏(うさくびん)書記(後に殺人事件にからみ逮捕)はポンと50万元を郭氏に贈り、激励したという。(伊藤正、矢板明夫)

                   ◇

 ■観音菩薩と毛沢東が並ぶ

 「昔は、正月も休まず、毎日夜中まで山を切り崩して段々畑を造った。本当に貧しく苦しかった。今の暮らしは別世界にいるようだね」

 大寨の中心部にある土産販売広場で地元名物の「乾餅」(小麦粉の餅(もち))を売る李有財(りゅうざい)氏(68)はそう話した。シーズンオフの冬場でも、1日数十元(1元は約15円)の売り上げがあるという。

 広場には、レストランや各種の記念グッズの売店が軒を並べる。過去に大宣伝された「大寨」ブランドを生かした観光業は、村の収入の3割を占めるほど繁盛している。

 超有名人の郭鳳蓮(かくほうれん)氏は豊富な人脈を活用して内外から資金を集め、大寨ブランドの酒造工場、セメント工場など企業を次々に設立、炭鉱経営にも手を伸ばした。

 その結果、村民の平均年収は6000元を超えたほか、老人年金や小学校の学費免除、大学合格者への奨学金など、村独自の福祉政策がある。160戸の全村に純農家は1軒もなくなり、大寨の象徴だった段々畑も、開発農地を森林に戻す「退耕還林」政策に従い、7割は緑地に変わった。

 数年前から、郭鳳蓮氏はメディアで「鉄の娘」として復活した。ただし、大寨を豊かにした企業家、としてだ。彼女一族はいま山西省でも有数の資産家として知られる。

 化学肥料工場などを経営する郭氏の長男、賈小軍(かしょうぐん)氏は昨年、話題を呼んだ。3000万元を投じ、かつて「共産主義の桃源郷」と呼ばれた大寨に敷地約1万平方メートルの仏教寺院「普楽寺」を建立したためだ。

 賈氏は敬虔(けいけん)な仏教徒で、解放後すべて破壊された寺の再建が夢だったという。これに対し「毛主席にわびろ」といった非難がネット上で浴びせられた。毛沢東は宗教を「精神の麻薬」として徹底的に弾圧した。

 しかし、拝金主義を生んだ改革・開放が進み、豊かさが実現するにつれ、各種の宗教が全国で広まった。江沢民(こうたくみん)前国家主席夫妻も敬虔な仏教徒だといわれている。

 大寨でも1991年以降、20人余の村民が仏門に帰依したという(中国誌「中国新聞週刊」)。

 文革批判が起こった70年代末、「毛沢東」が地に落ち、信仰の危機が訪れた。いまはどうか。改革・開放で豊かになったものの、共産党も、党が唱える社会主義も信仰の対象ではなく、人びとは精神のよりどころを失った。

 大寨の土産店では観音菩薩(ぼさつ)の絵とともに毛沢東の肖像画が売られていた。それは、中国人の現在の心象を象徴しているように見えた。(伊藤正、矢板明夫)

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山西省・虎頭山のふもとにある陳永貴氏の石像。変転を重ねる大寨村を見下ろしている=2007年12月、矢板明夫撮影
大寨村のお土産広場で名物の「乾餅」を売る李有財さん。半世紀前、陳永貴氏に率いられ、段々畑の開拓に参加したという=2007年12月(矢板明夫撮影)
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