MSN Japanのニュースサイトへようこそ。ここはニュース記事全文ページです。

【トウ小平秘録】(139)第6部「先富論」の遺産 毛・トウの類似性

2008.2.5 03:41
このニュースのトピックストウ小平秘録

 ■行く末、不安を感じていた

 毛沢東は1976年9月に死去する数カ月前、華国鋒(か・こくほう)首相(肩書は当時、以下同)らに、自分の生涯の「二大事業」を話した。

 「蒋介石(しょう・かいせき)を島(台湾)に追い出し、日本人にお帰り願ったこと」と「文化大革命を発動したこと」である。

 毛沢東は前者に「異議を唱える人は多くはない」が、文革には「支持は多くなく、反対の人が少なくない」とし、「どちらもけりはついていない。次世代にこの『遺産』を引き渡さねばならないが、結果は天のみぞ知る」と語ったという。

 77年3月、中央工作会議の閉幕演説で、葉剣英(よう・けんえい)副主席が明らかにしたが、「毛沢東伝」(中央文献出版社)は、「人生は残り少なく、毛沢東は(文革の行く末に)深い憂慮と不安を感じざるを得なかった」とする。

 この話を引用して、晩年の毛沢東とトウ小平(しょうへい)氏の類似性を指摘したのは、趙紫陽(ちょう・しよう)元総書記だ。天安門事件で失脚、自宅軟禁になってから3年後の1992年9月5日、友人の宗鳳鳴(そう・ほうめい)氏にこう話した(宗氏著「趙紫陽軟禁中的談話」)。

 「トウ小平の人生の二大事業は、改革・開放と『六四』(天安門事件)だった。前者はみんなが賛成したが、後者は彼の最大の憂慮、最も敏感な問題になった」

 毛沢東は、人生をかけた文革に異議が多いことを知りながら、その継続を望み、文革否定を警戒してトウ小平氏を排除、後継者には、不評の江青(こうせい)夫人ら四人組ではなく、華国鋒氏を選んだ。

 趙紫陽氏は、トウ小平氏が、江沢民総書記以下の新指導部を選んだのも「『六四』の受益者である彼らが、その評価を覆すことはないからだ」とし、さらに「楊尚昆(よう・しょうこん)(国家主席)や万里(ばんり)(全国人民代表大会委員長)は、トウ小平や新指導部と考えが違い、トウは使わないだろう」と述べている。

 幽閉状態にありながら、趙紫陽氏は外部の情報を入手していたようで、情勢の読みは的確だった。特にトウ小平氏の心理についての分析は深い。トウ氏の「盟友」である楊尚昆氏へのトウ氏自身の態度の変化についてなどは、その一例だ。

 「トウ小平は自分の死後、楊尚昆が(自分に代わる)皇帝になり、『六四』の評価に変化が起こることを懸念している。その結果、楊や万里に対する態度は百八十度変わり、一部の問題では2人に相談さえしなくなった」

 この談話の1カ月余り後、第14回党大会が開かれ、楊尚昆、万里両政治局員は中央委員に再選されず、翌春の全人代で、国家主席、全人代委員長からそれぞれ引退した。

 世界が驚いたのは、党大会後の中央委員会総会(14期1中総会)での中央軍事委員会人事だった。楊尚昆第1副主席と実弟の楊白冰(よう・はくひょう)秘書長がそろって更迭され、白冰氏は軍総政治部主任のポストを解かれたのだ。

 天安門事件で武力行使の実行責任を担い、事件後は軍を支配した「楊兄弟」の事実上の失脚だった。

                  ◇

 ■忠実な兄弟を切り捨てた

 楊尚昆(よう・しょうこん)、楊白冰(よう・はくひょう)兄弟の軍からの排除は、「極めて意外」(台湾誌「中共研究」1992年11月号)と受け止められた。兄弟が天安門事件で中心的役割を担い、トウ小平(しょうへい)氏の信頼が絶大とみられていたからだ。

 天安門事件後の89年11月、楊尚昆氏は、趙紫陽(ちょう・しよう)総書記(肩書は当時、以下同)が兼ねていた中央軍事委第一副主席に昇格し、楊尚昆氏が兼ねていた軍事委秘書長には、弟の楊白冰氏が抜擢(ばってき)された。

 そのとき、トウ小平氏は軍事委主席を辞任、後任に江沢民(こう・たくみん)総書記が就いたが、軍歴も軍人脈もない江氏は飾りにすぎなかった。代わって実権を握った楊兄弟は、軍長老らの不満を買う。

 80年代後半以降、中国の内情報道に定評のあった香港紙「鏡報」90年11月号は、4人の将軍が二十数人の三軍高級将校の声を代表し、トウ小平氏に直訴したと報じている。

 それによると、4将軍は「楊家将」(楊兄弟)は三軍内で個人の威信を確立、「楊王国」をつくったと非難。89年8月から90年2月までの50余人の軍将官異動で子飼いを取り立て、反対派を排除した事実などを挙げた。

 それに対し、トウ小平氏はこう答えたという。

 「軍内の問題は軍事委の集団指導が主であり、最終的には、江沢民の意見を聴かねばならない。江沢民が党と軍のナンバーワンであることは、公認なのだ」

 「鏡報」は、「トウ小平は楊尚昆が人心を得ていないことを知っていたが、彼のメンツをつぶさずに辞めさせる方法で思い悩んでいた」と書く。

 楊白冰氏はともかく、楊尚昆氏はトウ小平氏の半世紀に及ぶ親友であり、忠実な部下である。4将軍の直訴があった90年秋は、保守派の全盛期で、江沢民総書記も李鵬(りほう)首相も「階級闘争」論や反「和平演変」(平和的体制転化)を唱え、トウ氏はいらだっていた。

 92年1月、トウ氏は南方を視察、各地の講話(南巡講話)で保守派を痛罵(つうば)、経済建設を再加速させたが、楊尚昆氏は視察に全線同行し、トウ氏をバックアップした。楊白冰氏も「軍は改革・開放の護送船団たれ」とトウ氏支持を鮮明にしていた。

 その兄弟をトウ氏は切り捨てた。胡耀邦(こ・ようほう)、趙紫陽という忠実な使徒を切ったのと同じ非情さだった。それは趙氏が言うように、自分の死後、「六四」評価が変わる不安からだけではなかった。次回に続く。

(中国総局長 伊藤正)

このニュースの写真

関連トピックス

PR
PR

PR

イザ!SANSPO.COMZAKZAKFuji Sankei BusinessiSANKEI EXPRESS
Copyright 2008 The Sankei Shimbun & Sankei Digital
このページ上に表示されるニュースの見出しおよび記事内容、あるいはリンク先の記事内容は MSN およびマイクロソフトの見解を反映するものではありません。
掲載されている記事・写真などコンテンツの無断転載を禁じます。