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【トウ小平秘録】(135)第6部「先富論」の遺産 「団派」ホープの熱弁
■「政治特区」が急浮上した
「われわれは再び思想を解放し、進取の精神で改革を刷新、問題を解決しないなら、トウ小平(しょうへい)同志から付託された任務を完成できないと認識すべきだ。死中に活を見いだす勇気が必要だ」
2007年12月25日、広東省党委員会総会で、汪洋(おうよう)書記(52)は2時間にわたって熱弁を振るい、少なくとも22回、「思想解放」を唱えたという(同26日付「南方日報」)。汪氏は10月の第17回党大会で政治局入りし、重慶市書記から広東に転任したばかりだった。
「思想解放」は1970年代末、トウ小平氏ら改革派が改革・開放への転換のため、毛沢東信仰打破に使ったのが始まりで、その後も保守主義を批判、克服する武器になった。
汪洋氏がいま、「思想解放」を力説した意図が憶測を呼んだ。広東省は常に改革・開放の最先端を行き、経済は国際化、資本主義化が進み、最も思想解放が進んでいるからだ。
この演説の後、汪洋氏に招かれ意見交換したのは、中山大学政治・公共事務管理学院長の任剣濤(にんけんとう)教授だ。教授は今年1月13日の講演で意味深長な発言をしている(1月14日付「南方都市報」)。
「憲政の民主化構築で、広東省は必ず突破すべきだ。この点で、任仲夷(にんちゅうい)(元広東省書記)が深センを政治特区にする計画を打ち出したのは、非常に英明だった」
2005年死去した任仲夷氏はかつて、貧富の格差や腐敗問題などの解決には、政治制度の改革が不可欠とし、経済特区の広東省深センを政治特区にし直接選挙実施など民主政治の実験区にする構想を提起していた。
任剣濤教授は、大衆も官僚も富の追求に没頭、精神的退廃を招いていると批判、政治改革の必要を説く。汪書記の反応は不明だったが、広東省党委は今年初め、思想解放の学習と討論を呼びかける通知を出した。
通知は、「広東が思想解放の先兵になってこそ、長期の急発展で累積された一部の深刻な矛盾、問題は解決できる」と強調。思想解放とは「政治特区」設置への準備との説が急浮上した。
思想解放をこれほど強調している指導者は、汪洋氏だけで、学習活動を展開している地方はほかにはない。それは逆に、限定された地区で政治改革の実験をする「密命」を汪氏が中央から受けている表れとされている。
汪洋氏が胡錦濤(こきんとう)氏直系であることが観測を強めた。汪氏は胡氏と同じ安徽省出身で、胡氏が共産主義青年団(共青団)の第1書記など要職にあった80年代前半、共青団安徽省委副書記などを務めた、「団派」(共青団出身者)のホープだ。
さらにもう一つ。前任者の転出で昨年11月以来、空位になっていた深セン市の書記に、今年初め劉玉浦(りゅうぎょくほ)広東省副書記が就任したことだ。劉氏もまた80年代に共青団中央常務委員を務め、胡錦濤氏との関係は深い。
政治改革が待ったなしの要求になったいま、辛亥革命の発祥地、広東に関心が集まりだした。(中国総局長 伊藤正)
■「実験」はリスクも大きい
広東省の深セン、珠海、汕頭(すわとう)と福建省廈門(アモイ)の4地区に、経済特区が正式に誕生したのは1980年だった。外資を誘致し、経済発展を図る特区は、保守派の猛反対に遭ったが、トウ小平(しょうへい)氏は「実験であり、まずければやめればよい」と押し切った。
任仲夷(にんちゅうい)元広東省書記は2004年、北京の雑誌「炎黄春秋」のインタビューに、「深セン政治特区」も同じ実験だと語っている。どんな実験をするのか。任氏は西側の民主主義制度に学ぶよう提唱、首長や人民代表大会(議会)の直接選挙制を考えていた。
経済特区と比べ政治特区は、共産党にとってリスクが大きい。党官僚の腐敗への批判が絶大な今日、自由立候補制の直接選挙を行えば、党批判派が勝利する可能性が高いからだ。
このほか、党と行政の分離、企業や学校などの党委員会の廃止、司法の独立、報道の自由なども「実験」対象とされるが、党官僚の既得権を侵すだけに、激しい抵抗が予想されている。
この問題を取材している地元や香港の記者たちによると、汪洋(おうよう)広東省書記は、幹部らに「誤りを恐れず、真意を話せ」とハッパをかけながら、思想解放の意図を明かさず、反応をうかがっている段階という。
しかし胡錦濤(こきんとう)政権が政治改革を模索していることは17回党大会の中央委報告にうかがえる。その中で「一つの中心、二つの基本点」という社会主義原則を守りながら経済建設を進める基本方針が復活したことが注目された。
この基本方針は第13回党大会(87年)で故趙紫陽(ちょうしよう)元総書記が打ち出した。トウ小平氏は高く評価したが、トウ氏死去後の15回、16回両大会の江沢民(こうたくみん)氏の報告からは消えた。
トウ小平氏は毛沢東の旗を掲げて非毛沢東化を進め、社会主義の政治原則を強調しながら、市場経済化した。トウ氏も趙紫陽氏も13回党大会当時は、経済発展には政治改革が不可欠と強調し、実際、党と行政の分離など幾つかの改革に着手した。
「一つの中心、二つの基本点」の復活は、胡錦濤政権が13回大会路線に戻り、政治改革を進める意図を示唆している、とある知識人は指摘した。
政治改革は89年の天安門事件で頓挫し、停滞状態が続いた。次回から、天安門事件とそれ以後の動きを検証する。(伊藤正)
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【用語解説】1つの中心、2つの基本点
1987年10月の第13回党大会報告で趙紫陽総書記が提起した基本戦略方針。経済建設を中心課題(1つの中心)達成に、改革・開放と社会主義の4つの基本原則を基本にするというもの。4原則は(1)社会主義の道(2)人民民主(プロレタリア)独裁(3)共産党の指導(4)マルクス・レーニン主義と毛沢東思想。トウ小平氏は大会当時、これを絶賛、89年の天安門事件後も、13大会報告は一字一句たりとも修正してはならないと述べた。


