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【トウ小平秘録】(132)第5部 最高実力者 反日デモ防止

2007.12.15 03:44
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 ■重大な政変の伏線だった

 1985年秋、北京などで学生の反日デモが起こった。中曽根康弘首相(肩書は当時、以下同)の靖国神社公式参拝が引き金になったが、改革・開放の進展に伴うさまざまな問題、矛盾への社会の不満が背景にあった。

 日中間では、82年の歴史教科書問題で、歴史認識の違いが初めて政治問題化した。教科書問題は、中曽根康弘政権が「侵略的事実」を認めることで収まったが、その後も閣僚の不規則発言が続き、中国側の対日感情を刺激した。

 しかし、トウ小平(しょうへい)氏は、日本の経済・技術協力を重視、特に胡耀邦(こようほう)総書記が83年11月に訪日して以来、日中関係は「蜜月時代」と呼ばれるほど友好ムードが高まった。

 84年3月に訪中した中曽根首相に対し、トウ小平氏は、前年の胡耀邦訪日時に日中協力促進で合意したことを称賛し、こう述べた。

 「中日関係を長期的角度で考えて発展させ、永久に友好を進める。これは両国間の一切の問題を超越した重要性を持つ。両国関係の発展レベルには満足しているが、まだまだ十分ではない」

 この会談で、トウ氏は日本の民間投資や技術協力の促進を要望しているが、歴史問題には言及していない。ただ胡耀邦氏の日本青年3000人招待(84年)など親日姿勢への不満が保守派の間で芽生えていた。

 終戦記念日(8月15日)、中曽根首相は靖国神社を公式参拝した。戦後40周年にあたり、一つの区切りをつけるためだった。中国政府は、外務省スポークスマンが参拝前日に談話で警告したが、反応は慎重だった。

 参拝に敏感に反応したのは、北京大学の学生たちだ。彼らは9月初め、学内に大量の壁新聞を張り出す。「日本軍国主義復活反対」「中曽根を打倒せよ」といった参拝批判ばかりではなかった。

 「国を売って繁栄を求めるな」「日本の経済侵略反対」など対日協力路線を批判する壁新聞や「3000人招待」を皮肉る漫画も登場した。

 これらのスローガンは、当時、対日貿易赤字が増大(85年は約52億ドル)する中で、上海・宝山製鉄所への新日鉄プラントが不当価格だとか、日本の家電メーカーが売れ残りの二級品でもうけているとかの報道も影響していた。

 北京大学生らは対日抗議デモを計画するが、大学当局は政府の指示で許可しなかった。中国政府は、各地の戦勝40周年記念行事を組織、8月15日に南京の「虐殺」記念館(館名はトウ小平氏が揮毫(きごう))も開館式典を行いながら、抗議行動の拡大を抑えた。

 しかし、学生たちは満州事変記念日の9月18日、デモを敢行する。天安門広場の人民英雄記念碑への献花活動に乗じ、数百人が広場に座り込んだ。デモは西安、成都、武漢など地方にも飛び火する。

 スローガンには「汚職官僚打倒」「特権・官僚主義反対」「洋貨(外国製品)を排斥」「売国主義打倒」「物価上昇反対」といった社会の不満を表現したものが増えていく。84年の対外開放の拡大と「商品経済」化という改革が経済成長をもたらす半面、社会矛盾を深刻化させていた(高皐(こうこう)著「後文革史」など)。

 物資も価格も国家統制のまま、法制度も未整備な状況下、許認可権を握る役所や、「官商」と呼ばれた役所直系企業(約2万社)が暴利をむさぼった。その中で高級官僚だけでなくその子女らも特権を享受した。

 外国製品ブームが起こり、国産車から外国車に乗り換える指導者や高級官僚が続出。外貨事情は窮迫し85年春には、外貨管理と輸入制限を強化したが、海南島事件が大問題になる。

 あらゆる物資が不足し、需給バランスが崩れる中で、中国政府がとった一部副食品や野菜の価格自由化は、物価上昇を招いただけだった。

 学生の反日行動と並行して、北京では共産党の全国代表会議が開かれた。会議の主導権を握ったのは陳雲(ちんうん)中央規律検査委第一書記だった。陳氏は経済の過熱や不正、犯罪の激増を指摘、改革・開放のスローダウンを主張した。陳氏は集団指導制の重要性を話す。

 「民主集中制は党規約の原則だ。指導者は各種の意見、特に反対意見に注意を払い、十分な集団討議をすべきだ」(「陳雲年譜」)

 反対論を封じ、改革・開放の拡大を決めたトウ小平氏ら指導部への批判だった。しかし陳氏の矛先はトウ氏ではなく、胡耀邦氏に向けられていたことが間もなく分かる。

 代表会議は、反日デモに注目、思想教育の強化を決め、当局はデモを終息させる。街頭デモ抑圧ではトウ氏も陳氏も一致していた。ましてデモは、反政府行動に転化する兆しが見えていた。

 北京大学生たちは12月9日の反日統一戦線結成50周年に、各大学の学生に反日デモを呼びかける。9月の反日行動で、学生たちは横のつながりを持ちつつあった。しかし、当局はデモを事前に防止、翌春には北京大生2人を逮捕する。

 それは重大な政変の伏線だった。胡耀邦総書記を失脚に追い込むデモが1年後に起こる。(伊藤正)

                   ◇

【用語解説】海南島事件

 1984〜85年に海南島で起きた大量密輸・転売事件。88年に経済特区に指定される前、海南島行政区は、島内での使用・販売を条件に輸入規制品を輸入できる特別措置を受けていたが、区党委の雷宇副書記らはこれを悪用、自動車8万900台、テレビ286万台などを輸入し中央や地方の官庁に高値で転売、暴利を上げた。85年3月に摘発、雷氏は解任された。外貨管理と輸入規制が強化され、経済特区や開放都市にも深刻な影響が及んだ。

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