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【トウ小平秘録】(129)第5部 最高実力者 急務の幹部若返り

2007.12.12 02:37
このニュースのトピックストウ小平秘録

 ■「両足も挙げて賛成だ」

 「10年後を見ていろよ」。1975年初め、極左「四人組」の王洪文(おうこうぶん)副主席(肩書は当時、以下同)が言い放った言葉が、トウ小平(しょうへい)氏の耳から離れなかった。

 王氏は73年に「後継者候補」に抜擢(ばってき)されたが、74年暮れ、毛沢東の信頼を失い、それまで主管していた党中央の日常業務から外された。そして、担務を引き継いだトウ氏に捨てぜりふを残して上海に旅立ったのだった。

 その時、トウ氏は70歳、王氏は40歳。その後、トウ氏は76年に失脚したものの四人組事件を経て復活、78年12月には事実上の最高権力を握った。以来、トウ氏は指導部若返りの必要を説くとき、王氏の言葉をしばしば引用した。

 79年11月、次官級以上の幹部会議で、トウ氏は「年齢では彼らにかなわない。四人組の思想体系を堅持する者が将来権力を握るのを警戒しなければならない」と話す。

 林彪(りんぴょう)・四人組裁判(81年1月結審)で、副裁判長を務めた伍修権(ごしゅうけん)氏は回顧録で、王洪文氏は公判で罪を素直に認め、態度が最も良かったが、無期懲役にした理由をこう書いている。

 「王は『10年後を見ていろ』と言ったことがあり、年齢も若かったことから(出獄後を考えて)無期懲役とした」「政治局で討論した結果だ」

 82年9月、5年ぶりに開かれた第12回党大会の最大テーマは、改革・開放路線を完全に定着させ、長期継続する指導体制を確立することだった。そのために指導部の若返りと文革派の徹底排除が図られた。

 文革派の排除については、既に実権を失っていた華国鋒副主席が政治局員に再選されなかったことに象徴される。華氏は中央委員にはとどまったが、新中央委員は、造反運動への参加経験がないことが絶対条件だった。

 「若年化、知識化、革命化、専業化」の選出基準に合った55歳以下の新中央委員・同候補委員は112人に上った。その中には、後に総書記になる江沢民(こうたくみん)電子工業相(55)や胡錦濤(こきんとう)甘粛省建設委副主任(39)、首相になる李鵬(りほう)水利電力次官(53)も含まれている。

 中央委員会の若返りは、大量の老幹部の「引退」によって実現した。これが簡単ではなかった。しかしトウ小平氏には強力な味方がいた。80年12月の中央工作会議で調整策で一致して以来、関係が密になった保守派の重鎮、陳雲(ちんうん)副主席だ。

 陳雲氏は81年5月、党中央に「青年指導者の抜擢と養成は急務」との意見書を出した。当時、陳氏の秘書で、後に中国社会科学院副院長を務めた朱佳木(しゅかぼく)氏の回想記によると、この意見書を討議した会議で、トウ小平氏はこう言って爆笑を誘ったという。

 「陳雲同志の意見について私は両手だけでなく両足も挙げて賛成だ」

 トウ小平氏は80年8月の国家指導体制改革構想で、第一線の若返りのため指導者の終身制や兼職制の見直しを提言していたが、これには老幹部が激しく抵抗した。彼らの多くは文革で失脚、復職して間もなかった。

 台湾の政治大学助教授、寇健文(こうけんぶん)氏の著書「中共菁英政治的演変」によると、「終身制廃止」には許世友(きょせいゆう)、韋国清(いこくせい)両氏ら軍長老が強く反発、葉剣英(ようけんえい)、李先念(りせんねん)両副主席も反対で、トウ氏の構想は政治局員の半数の支持しか得られなかったという。

 こうした中で、トウ小平氏が着想したのが中央顧問委員会の設置だった。トウ氏は第10回党大会(73年)の前、毛沢東に「老幹部を顧問にしたらいい」と話したことがあり、年来の構想だった。

 トウ氏が「指導幹部の終身制廃止までの過渡的措置」として顧問委を正式に提案したのは82年7月末の政治局拡大会議だった。顧問委は党大会で承認され、トウ氏は自ら主任に就任、薄一波(はくいっぱ)、許世友氏ら172人の老幹部が顧問委入りした。

 党大会後の9月14日、第一回中央顧問委総会で、トウ小平氏は「中央委員会の若返りが目的」と設置目的を説明し、さらにこう述べている(「トウ小平年譜)。

 「老同志に第一線を引いた後も一定の働きをしてもらうためだが、第一に注意を要するのは、中央委員会の活動を妨害しないことだ」

 第12回党大会では、主席制を廃止し総書記がトップになった。胡耀邦総書記以下、葉剣英、トウ小平、趙紫陽(ちょうしよう)(首相)、李先念、陳雲の6人で政治局常務委員会を構成したが、最年少の趙氏でも63歳で、トップ集団は若返りとは無縁だった。

 発足当初は、「敬老院」と評されていた顧問委は、「党中央の妨害をしない」とのトウ氏の方針とは逆に、発言力を強め政策に干渉していく。その理由の一つは、トウ小平氏が最大権力の中央軍事委主席を保持したまま主任に就いたことだった。

 顧問委は92年の第14回党大会で廃止されるまでの10年間、政治局の上位の如く振る舞い、その後、胡耀邦、趙紫陽両氏を失脚に追い込む上でも、重要な役割を演じる。

 第12回党大会は中央委員会の若返りに成功した半面、長老政治を合法化した大会でもあった。

(伊藤正、矢板明夫)

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