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【トウ小平秘録】(128)第5部 最高実力者 潘暁の手紙
■何を信じて生きればいい?
「私は今年23歳、生活を始めたばかりというのに、私にとって人生のすべては、もはや魅力的なものではなくなった」
1980年5月、発行部数300万近い人気月刊誌「中国青年」に一通の投書が掲載された。「人生の道よ、なぜ行けば行くほど狭くなるのか」と題した「潘暁(はんぎょう)の手紙」は大反響を呼ぶ。
「潘暁」は北京の男子大学生、潘●(はんい)と女性労働者、黄暁菊(こうぎょうきく)の両氏の名からとったペンネーム。同誌への投書のうち、編集部が両氏の投書を合わせて編集し、潘暁名の女性労働者にして若者の悩みを表現したのだった。
共産主義教育を受けた少女時代、世のため人のために一生をささげようと決意した潘暁が、現実社会の中でさまざまな矛盾や問題にぶつかって人生に絶望、「出家しようと思ったが、いまは死をと考えている」と結ぶ。
両親の別居と金銭トラブル、信頼していた友人の裏切り、出世欲で別れていった男友達など、潘暁は赤裸々に体験を告白し、すべての人は自己欲にかられ、道徳や信念は口先だけと書く。
これに対し、「中国青年」誌には、3カ月間に同様の悩みを訴え、潘暁に同情する投書が4万通以上殺到する。中には「道徳や信念に縛られるのは偽善」と私欲を肯定する意見もあった。
編集部は毎号、それらの一部を抜粋して特集を組むと、反響はさらに大きくなり、人民日報や新華社も報道、「人生の意義をめぐる大討論」へと発展していく。毛沢東信仰が崩れ、文革から改革・開放へと大転換する中で、社会のあり方も人びとの価値観も急変したことが背景にあった。
この革命から建設への移行期に、それまで抑制されていた欲望が解き放たれ、拝金主義が社会全体に急激に広がった。金銭をめぐるトラブルや犯罪が激増したのもこのころからだった。
その中で、指導者や高級官僚たちはさまざまな特権を享受、社会の不満のタネにもなった。78年秋に始まった民主化要求運動は、農村に下放した青年たちが都市に戻れず、戻っても就職口がないという状況の中で、特権階級に矛先を向けた面もあった。
潘暁の手紙は、当時の青年たちが何を信じて生きればいいのか、という問いかけだった。その答えを得られないまま、若者たちは、台湾や香港の愛情音楽やファッションに安らぎを求めた。
こうした社会現象を「信念の危機」と呼んだのは、胡耀邦(こようほう)氏のブレーンでもあった郭羅基(かくらき)北京大教授だ。郭氏は早くも80年1月、「文匯(ぶんわい)報」への寄稿文で、改革・開放が進む一方で、極左思想の影響が根強いことに原因を求め、信念の危機解消には、思想の解放が必要だと論じていた。
郭氏の文章は、改革・開放にそぐわない「四つの基本原則」堅持を掲げるトウ小平氏の矛盾を突いたものだったが、発表当時は保守派の注意を引かなかった。しかし、「人生の意義」討論が拡大するにつれ、党中央は放置しておけなくなる。
宣伝担当の政治局員、胡喬木(こきょうぼく)社会科学院院長は6月18日、「中国青年」社を訪問、こう話す。
「私たちの社会がさまざまな問題を抱えているのは確かだが、これらの問題と闘う正義の力もある。正義の力は闘いの中で絶えず前進していくだろう」
「正義の力」とは何か。それが共産党の指導による精神主義運動であることは、同年12月の中央工作会議におけるトウ小平(しょうへい)氏の演説で明らかになる。トウ氏は「五つの革命精神を発揚しよう」と題し、自己犠牲の精神、困難を克服する精神、楽観主義などを強調し、こう述べた。
「青少年の中にもこれらの精神を普及させ、中華人民共和国の精神的支柱とし、空虚な精神から思想的に苦しんでいる世界中の人びとが、うらやましく思うようにしなければならない」
郭羅基氏によると、トウ小平氏は郭氏の論文について「どこに信念の危機があるというのか、郭の頭の中に危機があるのではないか」と激怒したという(郭羅基著「我與耀邦」)。
このときの中央工作会議では、宣伝・報道の引き締め方針が打ち出された。「人生の意義」討論のような党の指導に疑問を抱かせる報道は批判され、文革期のような共産党賛美が主流になっていく。
「中国青年」誌の人生討論は中央工作会議に先立ち中止され、潘暁の原型になった潘●氏は間もなく大学を退学、黄暁菊氏も勤務先の工場から解雇された。2人はその後職業を転々とし、潘氏は窃盗罪で投獄されるなど、人生の道は多難で狭くなる一方だった。
「中国青年」の担当編集者たちも職場を追われ、83年の反精神汚染運動の中で、再び批判の的になったが、胡耀邦総書記の「大きく騒ぎ立てる必要はない」との指示で難を逃れた。
「潘暁の手紙」は当時の比較的自由な雰囲気の中で、青年たちの真剣な討論を巻き起こした。トウ小平氏はそれをねじ伏せたが、党と国民の乖離(かいり)を拡大させ、「信念の危機」はより深刻になる。(伊藤正、矢板明夫)
●=緯の糸へんを示に