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【トウ小平秘録】(124)第5部 最高実力者 改革派への攻撃

2007.12.5 04:01
このニュースのトピックストウ小平秘録
胡耀邦氏胡耀邦氏

 ■権謀術数が渦巻く

 1980年12月初め、華国鋒(かこくほう)主席(肩書は当時、以下同)の「失脚」が決定(正式辞任は81年6月)した後、北京で中央工作会議が開かれた。ここから保守派の改革派攻撃が本格化する。標的は次期主席に決まった胡耀邦(こようほう)氏だった。

 当時、党中央党学校の理論研究室副主任で胡氏のブレーンだった阮銘(げんめい)氏は、陳雲(ちんうん)副主席率いる保守派の権力戦略について「トウ小平(しょうへい)帝国」にこう書いている。

 「まずトウ小平と連合して華国鋒を倒し、次に趙紫陽(ちょうしよう)(首相)と連合して胡耀邦を倒し、その後再びトウ小平と連合して趙紫陽を倒す。最後はトウ小平を孤立させ、彼らに従わざるを得なくする」

 阮銘氏だけでなく、呉江(ごこう)氏ら当時の胡氏のブレーンたちは、趙紫陽氏が胡総書記解任(87年)の陰謀に加担したと主張している。趙氏は首相在任中、陳雲氏と良好な関係にあったが、胡氏解任はむしろトウ小平氏の陳氏への妥協が主因だった。

 80年12月の中央工作会議では、開幕(16日)時に陳雲氏が経済問題について演説、14項目の提案をした。さまざまな矛盾や問題を指摘して調整の必要を説き、改革・開放にブレーキをかける意図が明白だった。

 「(外債、外資導入について)外国の資本家も資本家だとはっきり認識すべきだ。外資利用や外国技術導入は重要だが、警戒心が必要だ」

 「10億の人口中8億を農民が占めるわが国での建設は、香港、シンガポール、南朝鮮(韓国)、欧米や日本とは違う。こうした困難を認識している人は多くない」

 「調整はある面では後退を意味するが、より多く後退すべきだ。(建設が)3年は遅れるとの議論を恐れるな。アヘン戦争(1840年)以来、もう100年以上遅れているんだ」

 陳氏はこのほか、各地でむやみな重複投資や賃上げなど経済面の混乱や財政困難が起きていると指摘、計画経済を主とし、国家関与を強めるよう主張した。その多くは、トウ小平氏を暗に批判していた。

 トウ氏は閉幕日(25日)に演説、内容は「トウ小平文選」に「調整方針を貫徹し安定団結を保証しよう」との題で収められている。その中でトウ氏は、経済特区の減速、対外開放の進め方の改善など経済面と宣伝・政治思想工作面での調整の必要を強調した。

 「陳雲年譜」は、トウ氏の演説を次のように記し、陳雲氏に「完全同意」を表した点が強調されている。

 「陳雲同志の演説に完全に同意する。この演説は一連の問題について、わが国の31年来の経済工作の経験、教訓を正確に総括しており、われわれの今後長期にわたる指導方針だ」

 「今回の調整はまさに陳雲同志の言うように、健全で明晰(めいせき)な調整であり、一部は後退、かつより多く後退させねばならない。陳雲同志に完全に同意し、今後一定期間、調整をしっかりやり、改革は調整に服従、調整に有利にし、調整を妨害してはならない」

 トウ氏は演説で、犯罪激増、風紀の乱れ、反党反社会主義風潮などを挙げて、資本主義やブルジョア自由化思想の影響を排除するため、思想・宣伝工作の改善、強化を打ち出した。「陳雲年譜」では、これも陳雲氏の主張に従ったものだった。

 1983年刊行の「トウ小平文選」は一部、「陳雲同志の言うように」との表現があったが、2004年刊行の「トウ小平年譜」はその部分は削除した。

 いずれにせよ、保守派の重鎮、陳雲氏にトウ小平氏が同調し、引き締め強化が決まった。この後も、トウ氏は陳雲氏の批判を受ける度、改革・開放を停止しては再び前進を図る「一歩後退、二歩前進」を繰り返す。

 就任して間もない趙紫陽首相は、経済分野を中心に調整策を実行した。新日鉄プラントによる宝山製鉄所建設中断(1981年1月)もその一つだった。経済特区の建設などに影響はあったが、農村の生産請負制や企業の自主経営など改革の流れは止まらなかった。

 深刻な影響が及んだのは、思想・文化面だった。トウ小平氏は80年8月の政治局拡大会議で党と行政の分離など政治制度改革と民主を発揚、国民の民主的権利を保障する制度などを打ち出したが、4カ月後には4つの基本原則を強調、政治・社会の安定のため思想・文化の引き締めと宣伝工作の強化を指示した。

 改革・開放に転換した78年12月前後から、中国の文化・芸術・言論界は、それまでの抑圧を吹き飛ばすように、活況を呈した。特に文学では、文革期の迫害、抑圧や現実生活をテーマにした優れた作品が相次いだ。

 当時、香港「七十年代」誌編集長だった李怡(りい)氏は80年秋、記者(伊藤)に「中国に希望を持てるようになった。胡耀邦がいるからだ」と語っていた。当時の思想解放運動は、胡耀邦中央宣伝部長の存在が大きかった。

 それが今や、胡耀邦氏の「弱点」になろうとしていた。保守派が最初に狙い撃ちしたのはある映画シナリオだった。(伊藤正)

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胡耀邦氏

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