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【トウ小平秘録】(121)第5部 最高実力者 すべて派追放の日

2007.12.1 03:19
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劉少奇氏劉少奇氏

 ■毛沢東を傷付けてはならない

 毛沢東の指示、決定はすべて正しいとする「二つのすべて」派が、党中央を追われる日が来た。1980年2月の党11期中央委員会第5回総会(5中総会)だ。

 トウ小平(とうしょうへい)氏が完全に指導権を握り、胡耀邦(こようほう)、趙紫陽(ちょうしよう)両氏を車の両輪にして改革・開放を加速する起点でもあった。

 5中総会(2月23〜29日)では、汪東興(おうとうこう)副主席(肩書は当時、以下同)、紀登奎(きとうけい)副首相、呉徳(ごとく)全国人民代表大会(全人代)副委員長、陳錫聯(ちんしゃくれん)中央軍事常務委員の政治局員4人が解任された。

 いずれも文化大革命で台頭したすべて派指導者だった。総会コミュニケは「党内外の広範な大衆の意見により、4人の同志の辞職願を批准した」と発表したが、詰め腹にほかならなかった。

 すべて派領袖の華国鋒(かこくほう)主席は地位を保持した。四人組打倒で功績を挙げた華氏への支持が根深かったからだけではない。トウ小平氏は毛沢東の指名で後継者になった華氏更迭には慎重で、段階的にやる考えだった。

 すべて派に代わって党中央の中心に躍進したのは、胡耀邦、趙紫陽両氏だ。新中国建国前からトウ小平氏に仕え、文革後の改革路線で活躍した両氏は、そろって政治局員から政治局常務委員に昇進した。

 総会は、党中央の日常業務を執行する中央書記処を設立、万里(ばんり)政治局員ら10人が書記に選ばれた。そのトップの総書記には胡耀邦氏が就任。82年の第12回党大会で、党主席制を廃止、総書記制に移行する伏線だった。

 総会から5カ月後、80年7月22日付の人民日報1面に「石油掘削船『渤海2号』が天津沖で沈没、72人が死亡」という記事が載る。党の宣伝が任務の同紙にしては異例の事故報道だった。

 事故発生(79年11月)から8カ月後の公表には、政治的意味が潜んでいたことは、翌8月、宋振明(そうしんめい)石油相が責任を問われ更迭された後に分かる。宋氏は工業のモデル、大慶油田の党書記を長く務め、華国鋒氏の「大躍進」計画の担い手の一人だった。

 人民日報は続いて8月9日、「交城の用水路建設は愚策」とする山西省交城県党委員会メンバーの投書を掲載した。同県は華国鋒氏の郷里だ。巨費を投じた用水路建設を批判した投書掲載の意味は明白だった。

 じわじわと圧力を受けた華国鋒氏は9月に開かれた全人代第3回会議で兼任していた首相を辞任、趙紫陽氏が後任になった。同会議では陳永貴(ちんえいき)副首相(政治局員)も辞任に追い込まれた。

 陳氏は農業の全国モデル、大寨生産大隊(山西省)の農民指導者で、60年代初め、自力更生の精神で集団農業の優越性を示し、毛沢東に認められた。実際には国家から資金援助を受け、生産高にも誇大報告があったことなどが暴露されていた。

 華、陳両氏の更迭は、毛沢東の経済路線の否定を象徴していた。華氏への圧力は増し、81年6月にはトップの座から陥落する。

 80年2月の5中総会では、もう一つの重要な決定があった。毛沢東時代の最大の冤罪(えんざい)事件とされた劉少奇(りゅうしょうき)元国家主席の名誉回復だ。

 劉氏は文化大革命中、毛沢東に対抗してブルジョア司令部をつくり、資本主義路線を実行したとして激しい迫害を受け、68年に「裏切り者」などの汚名を着せられて党を除名。69年に移送先の河南省開封で病死した。

 78年12月の3中総会では、彭徳懐(ほうとくかい)国防相の解任事件(59年)などほとんどの冤罪事件の名誉回復が行われたが、劉少奇氏については見送られた。文革には毛沢東による劉氏からの奪権闘争の意味があり、その名誉回復は毛沢東を傷つけるのは必至だからだ。

 総会コミュニケは、劉氏除名を決めた68年の決議を取り消し、劉氏を「偉大なマルクス主義者」と評価し直した。しかしコミュニケは毛沢東の過ちには触れていない。

 「党は文革中、重大な過ちを犯した。この過ちは反革命陰謀家の林彪(りんぴょう)、四人組一味に利用され、党の歴史上未曾有の結果を招いた」

 80年5月17日に人民大会堂で開かれた劉少奇氏の追悼大会では、劉トウ路線と呼ばれ失脚を共にしたトウ小平氏が弔辞を読んだ。その中に毛沢東の名は出てこない。

 「文革中、林彪、四人組一味は党の権力を奪取する反革命目的から、わが党の欠点と誤りを利用、劉少奇同志を陥れ、残酷な迫害を行った」

 追悼大会前日の16日付人民日報は第1面に、劉少奇氏の名誉回復に関する論文を掲載した。文章は3部構成で、劉氏の経歴、功績や劉氏が林彪、四人組に迫害された点を述べた後、最終部分をこう書き出している。

 「毛沢東同志はその生涯、実事求是(事実に基づき真理を追究する)と誤りは必ず正す原則を堅持、冤罪などの名誉回復に長期闘争してきた」

 文章は劉氏の名誉回復は毛沢東思想に沿った決定とし、「毛沢東思想の旗をさらに高く掲げ、偉大な勝利に前進しよう」と結んでいる。

 劉少奇氏の問題で、トウ小平氏は毛沢東を傷つけてはならないと命じていた。文革中の過ちを、林彪、四人組に転嫁し、毛沢東から切り離した理由だ。

 それを内外に示す一大ショーが始まる。林彪・四人組裁判だ。

 (伊藤正)

                   ◇

【用語解説】大寨生産大隊

 山西省東部の昔陽県にあるかつての農業モデル。悪い自然条件の中で、陳永貴書記が農民を動員して段々畑を開墾するなどして生産を拡大、毛沢東が1964年に自力更生の模範と称賛。以後、全国の模範になり「農業は大寨に学ぶ」運動が展開された。60年代初めの生産請負制など調整政策を攻撃する政治的役割も担った。改革・開放で生産請負制が普及とともに大寨批判が強まり、国家支援の実態などが暴露された。現在、大寨は酒造など企業活動で発展している。

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