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【トウ小平秘録】(116)第5部 最高実力者 「民主の壁」運動 支持から弾圧に転じた (1/3ページ)
中国軍のベトナム撤退が完了した1979年3月16日、対越戦報告会が開かれ、トウ小平(しようへい)氏が軍改革と経済建設に重点を移す方針を述べたことは前回書いた。トウ氏はもう一点、「大量の思想工作が必要だ」と前置きし重要な発言をしている。
「全国には安定団結の局面が現れたが、安定団結に反する非常に多くの要素もなお存在する。われわれは断固として毛主席の偉大な旗を擁護しなければならない。これは安定団結に重要な問題だ」
「トウ小平年譜」によると、トウ氏はさらに「われわれが文章を書くとき、この偉大な旗をいかなる形でも傷つけてはならない。毛主席を否定することは中華人民共和国を否定し、われわれの歴史のすべてを否定することだ」と述べたという。
これは会議に出席した指導者への警告のように聞こえるが、実際には、民主化運動に向けられたものだった。トウ氏は「毛主席を誹謗(ひぼう)する言論を取り締まり、一部の悪党は捕らえろ」と命じていた(高皋(こうこう)著「後文革史」など)。
この時の北京の民主化運動は78年11月中旬、メーンストリートの西長安街西単交差点近くのレンガ塀に張られた壁新聞が発端だった。「西単の民主の壁」とか「西単の民主運動」と呼ばれた。
その背景には、76年4月の第一次天安門事件の評価問題があった。北京市党委員会が「反革命」とされた事件を「革命的行動」へ評価を変え、市民を歓喜させたのに呼応して運動は始まった。
「西単の壁」は民主化運動のメッカになり、大量の壁新聞が張られ、しばしば集会やデモも行われた。トウ小平氏は当時、複数の外国人に壁新聞運動を支持する発言を重ねた。78年11月26日、民社党の佐々木良作委員長(当時)にはこう話している。
「(壁新聞は)正常な現象であり、情勢安定の表れだ。壁新聞は憲法で許されており、それを否定・批判する権利はわれわれにはない。大衆の主張は、すべてが熟慮したものではないし、すべてに正しさを求めるのも不可能だが、それを恐れるべきではない」
《11月28日付人民日報掲載の新華社電。「トウ小平年譜」はこの部分をカットしている》

