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【トウ小平秘録】(108)第4部 第2の革命 衝撃の1面トップ

2007.10.5 04:08
このニュースのトピックストウ小平秘録

 ■「天安門事件は革命行動」

 「毛沢東の指示、決定はすべて正しい」とする華国鋒(かこくほう)主席(肩書は当時、以下同)ら「すべて派」と、「実践を通じて真理を検証する」とのトウ小平(しょうへい)副主席ら「実践派」との論争は、1978年秋までに実践派がほぼ勝利していた。

 同年9月、中国共産主義青年団(共青団)の機関誌「中国青年」が復刊されることになったのも、論争の流れを反映していた。共青団は文革前、トウ氏の右腕の胡耀邦(こようほう)中央組織部長が長く総書記を務め、胡氏の失脚とともに中国青年誌も廃刊になっていた。

 復刊第1号は200万部印刷され、その一部が発送された後の9月10日、宣伝担当の汪東興(おうとうこう)副主席が共青団の責任者を激しく非難した。

 同号には、76年4月の第一次天安門事件当時、北京第二外国語学院のグループが「童懐周(どうかいしゅう)」名で天安門広場に張りだした詩文集「天安門革命詩抄」と、事件後逮捕された北京の労働者、韓志雄(かんしゆう)氏の文章が載っていた。

 汪氏は韓氏を「この人物は問題だ。天安門事件を偉大で壮烈な人民の運動と述べているではないか」と言い、さらに雑誌名が華国鋒主席ではなく葉剣英(ようけんえい)副主席が揮毫(きごう)したこと、毛沢東(死去)2周年を記念する文章がないことなどを問題にした。

 汪氏の命令で中国青年誌は結局、刷り直しになった。「革命詩抄」と韓志雄氏の文章は削除して毛沢東の写真と詩に差し替え、さらに雑誌名も華氏が揮毫し直した(葉永烈(ようえいれつ)著「1978中国命運大転折」など)。

 第一次天安門事件で「黒幕」とされ失脚したトウ小平氏は、事件とは無関係だったとして復活を遂げたが、華国鋒政権は「反革命事件」との評価を変えていなかった。これは毛沢東生前の「最後の指示」であり、それによって華氏も「後継者」の指名を受けたのだ。

 この時期、「すべて派」と「実践派」の論争は、毛沢東がすべて正しいとは限らず、事実に基づき見直すべし、との意見が大勢になっていたが、具体的問題での議論にはなっていなかった。

 本連載にすでに書いた、建国前に国民党の捕虜になった党員61人が偽装転向し出獄した事件は、胡耀邦組織部長が名誉回復を図りつつあったが、まだ決着したわけではなかった。

 毛沢東信仰は根深く、それを盾にした華国鋒氏ら「すべて派」は依然、政権の中枢を握り、具体問題での毛沢東の誤りを提起することは断じて許さなかった。その別の例は、復刊号が刷り直しになった中国青年誌事件と同じ時期にあった。

 文革初期の67年2月、軍長老らが極左派を批判した「二月逆流」事件の中心人物の譚震林(たんしんりん)全国人民代表大会副委員長の論文が党理論誌「紅旗」に掲載拒否された事件だ。

 すべて派が握る紅旗誌は78年12月の毛沢東生誕記念日を祝う文章を、毛の信頼厚かった譚氏に依頼したが、10月に送られてきた原稿は「すべて派」を批判していた。汪氏の指示で原稿はいったんはボツになった。

 こうした「すべて派」と「実践派」の綱引きに敏感に反応したのは、北京の青年たちだった。特に中国青年誌事件は、青年たちを強く刺激し、10月中ごろから、北京のメーンストリート、長安街の西寄りの壁に、大字報(壁新聞)が張り出される。

 そのほとんどは、すべて派を批判し、天安門事件の名誉回復を求める内容だった。11月に入ると、壁新聞は急増、内容も民主化要求など多様になり、市民が群がった。「西単(地名)の壁」「民主の壁」と呼ばれるようになった。

 そうした中、北京市民は11月16日付の人民日報と光明日報が1面トップに掲載した新華社の記事に歓呼する。記事は「天安門事件は完全な革命行動」の見出しで、北京市党委員会が14日に決定したと伝えていた。

 その報道は実は正確な事実ではなく拡大解釈だった、と当時の事情を知る于光遠(うこうえん)中国社会科学院副院長は後年、「中国共産党重大事件紀実」に記している。

 それによると、北京市党委が決めたのは、天安門事件に関係し、迫害された人たちを名誉回復、復職させることだけで、事件を「革命行動」と評価したわけではなかった。

 新華社の曾濤(そうとう)社長、人民日報の胡績偉(こせきい)社長、光明日報の楊西光(ようせいこう)総編集長が相談、市第一書記の林乎加(りんこか)氏の了解を取らずに、この報道に踏み切ったという。この記事に紀登奎(きとうけい)政治局員が激怒したが、後の祭りだった。

 曾濤氏らがなぜこうした大胆な挙に出たのか。この報道の6日前、北京で開幕した中央工作会議で一人の中央委員が12日の分科会討議冒頭発言を求め、毛沢東時代の誤りを正すよう主張し、その第一に天安門事件を挙げていた。

 その発言者はただの中央委員ではなかった。かつては毛沢東も一目置いた党の重鎮、陳雲(ちんうん)元副主席だった。曾濤氏らは陳氏の発言で事件の再評価は確実と踏んでいたのである。

 陳雲氏は、天安門事件にとどまらず、重要事件の再評価に及び、すべて派を全面降伏に追い込んでいく。(伊藤正)

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