MSN Japanのニュースサイトへようこそ。ここはニュース記事全文ページです。

【トウ小平秘録】(107)第4部 第2の革命 軍権掌握

2007.10.4 04:20
このニュースのトピックストウ小平秘録

 ■すべて派は孤立した

 権力は「2本の棒」、鉄砲(軍)とペン(宣伝)が支柱、とは毛沢東の言葉である。1976年秋、極左四人組がポスト毛沢東の権力奪取に失敗したのは、鉄砲がなかったからだった。

 軍の支持で権力を握った華国鋒(かこくほう)主席は、軍のトップである中央軍事委主席を兼ね、宣伝部門も支配していたが、77年夏、トウ小平(とうしょうへい)氏が復活した後、徐々に権力基盤を侵食された。

 78年5月、光明日報紙が「実践は真理を検証する唯一の基準」との論文を発表、華主席がよりどころとする毛沢東無謬論を否定する動きが広まったのは、ペンの支配が崩れだした表れだった。

 毛沢東はすべて正しいとする「すべて派」の巻き返しが奏功したかにみえた6月2日、トウ小平氏の「真理検証」論文支持で風向きが変わった。3週間後の24日、軍機関紙「解放軍報」に重要な論文が掲載される。

 論文は、「マルクス主義の最も根本的な一原則」と題し、「実践を尊重し、科学を尊重し、迷信を打破して思想を解放すれば、新しい真理を手にすることができる」と指摘、「すべて派」の主張を、実践から遊離した「迷信」と断じる内容だ。

 この論文の全文を同日の人民日報が掲載、新華社も全国に配信した。中央宣伝部によるメディア封鎖は突破され、再び全国的な議論を巻き起こした。

 論文は「本紙特約評論員」名で発表されたが、筆者は胡耀邦(こようほう)中央組織部長の側近で、中央党学校副教育長の呉江(ごこう)氏。

 呉氏の回顧録「十年的路」などによると、中央宣伝部の圧力が強まる中、呉氏は5月中旬、この論文を書いたが、発表の場がなかった。そこで宣伝部の直接支配の及ばない解放軍報の編集部に相談した。

 掲載を決断したのは、トウ小平氏の盟友で、軍事委秘書長の羅瑞卿(らずいけい)大将だった。羅氏は、呉江氏や胡耀邦氏とやりとりを重ね文章を練り上げるのに協力、人民日報などへの転載も自ら手配した。

 その際、人民日報の胡績偉(こせきい)社長に対し、「この論文で罰を受けるなら、わたしが真っ先にむち打ちの刑を受けよう」と勇気づけたという。

 この論文を機に、「真理検証」の討論が各地各界で大展開される。「すべて派」の汪東興(おうとうこう)副主席らが抵抗したが、トウ小平氏が彼らを批判、8月下旬の新疆ウイグル自治区の汪鋒(おうほう)第一書記を皮切りに、地方指導者が相次いで実践派支持を表明し、すべて派は孤立した。

 解放軍報が呉氏の論文を掲載したのは、軍事委副主席兼総参謀長のトウ小平氏が既に軍の実権を握り、華国鋒軍事委主席は名目上の軍のトップにすぎなくなっていた表れでもあった。

 77年8月の第11回党大会以後、失脚前の地位を回復したトウ小平氏は、軍首脳の人事異動を次々と実施、総政治部主任に韋国清(いこくせい)上将、総後勤部部長に張震(ちょうしん)中将というかつての部下を配した。両部はトウ氏がトップを務める総参謀部とあわせて3総部と呼ばれる軍部隊の中枢だ。

 さらに、軍全体を統括する軍事委の日常業務を担う秘書長に、文革前に失脚した羅瑞卿氏を任命した。羅氏は建国後、公安相を長く務め、新中国の警察組織の創設者として知られる。羅氏の起用は、元公安相で治安部隊に一定の影響力を持っていた華国鋒氏の動きを封じる狙いがあった。

 トウ氏の軍掌握をはっきり示したのは、78年4月。海軍南海艦隊のミサイル駆逐艦が広東省湛江沖で爆発して沈没、百数十人の乗員全員が死亡したとされる事故がきっかけだった。

 中国海軍創設以来最悪の事故に、トウ小平氏は海軍第一政治委員の蘇振華(そしんか)上将を呼び、厳しく叱責(しっせき)した。蘇氏は建国前の第二野戦軍時代のトウ氏の部下だったが、四人組事件後派遣された上海で、秩序回復に貢献、華国鋒氏の信頼を得ていた。

 蘇氏は4月12日、華国鋒氏を訪ね、トウ氏への不満などを5時間にわたり報告した。華氏はその場で蘇上将への支持を表明し、「私は近く(北)朝鮮を訪問する。帰ったら大連で海軍の閲兵式をやろう」と提案した。

 閲兵式を大きく報道させ、華氏の海軍への支持を内外に印象づける狙いだった。華氏の指示で、蘇氏は艦船や飛行機などを大連周辺に集め、閲兵式の準備を始める。情報をキャッチした羅瑞卿秘書長は反対した。

 「これだけの大イベントを軍事委の会議を経ずに決めるのはおかしい」「大連はソ連や日本と近すぎ、国際的に悪影響をもたらす」

 トウ小平氏をはじめ多くの軍指導者が羅氏を支持した。閲兵式は結局、中止され、軍事委主席の華氏のメンツは丸つぶれになった。(元新華社記者、楊継縄(ようけいじょう)氏の著書「中国改革年代的政治闘争」などによる)

 《羅瑞卿氏は78年8月、足の治療で訪れた西ドイツで客死した》

 トウ小平派の軍権掌握を象徴するこの一件の直後に始まったのが「真理検証」の論争だった。トウ氏は90年の現役引退まで軍権を手放さなかった。ペンは鉄砲の支えがあってこそ力を持つと知っていたといえる。(伊藤正、矢板明夫)

                   ◇

【用語解説】3総部

 中国共産党中央軍事委員会に直属し、人民解放軍を統括する3つの中枢部署の総称。総参謀部は作戦、情報、訓練、総政治部は思想教育、規律検査、人事、総後勤部は装備管理、物資調達などを担当する。1998年にハイテク戦争に備え、武器装備の研究開発、調達などを担当する総装備部が新設され、現在は4総部体制になっている。

Ads by Overture

PR
PR

PR

イザ!SANSPO.COMZAKZAKFuji Sankei BusinessiSANKEI EXPRESS
Copyright 2007 The Sankei Shimbun & Sankei Digital
このページ上に表示されるニュースの見出しおよび記事内容、あるいはリンク先の記事内容は MSN およびマイクロソフトの見解を反映するものではありません。
掲載されている記事・写真などコンテンツの無断転載を禁じます。