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【トウ小平秘録】(106)第4部 第2の革命 実事求是

2007.10.3 02:59
このニュースのトピックストウ小平秘録

 ■論争が権力闘争に転化した

 1978年5月12日の夜11時過ぎ、北京市東部にある人民日報社。夜勤をつとめていた胡績偉(こせきい)社長兼総編集長(肩書は当時、以下同)の机の電話が鳴った。

 「なぜこんな論文を発表したのか、方向を誤っているのではないか。理論的に間違っており、政治的な問題はもっと大きい。悪い、全く悪い」

 電話の向こうから、いきなり激しい言葉が飛んできた。胡氏の前任者で、毛沢東著作編集委弁公室副主任の呉冷西(ごれいせい)氏の声だ。同日付の人民日報が、前日の光明日報に発表された論文「実践は真理を検証する唯一の基準である」を転載したことへの抗議だった。

 同論文は「いかなる理論も実践の検証を受けなければならない」とし、「毛主席の指示、決定はすべて正しい」とする華国鋒(かこくほう)主席ら「すべて派」に挑戦していた。呉冷西氏は非難を続けた。

 「毛沢東思想はわれわれの団結の基礎だ。もし毛主席の指示にも誤りがあると疑って、論争するような事態になれば、わが党は一致団結していられない。毛沢東思想という旗印を切り倒そうとしている、悪い上にも悪い論文だ」(胡績偉著「従華国鋒下台到胡耀邦下台」明報出版社」

 翌13日、同論文を全国に配信した新華社の曾濤(そうとう)社長にも、党理論誌「紅旗」の王殊(おうしゅ)総編集長から同様の電話があった。

 「論文は理論的にでたらめ、思想的には反動だ。配信したのは間違いだ」

 王殊氏は新華社記者出身で、曾濤氏のかつての同僚。呉冷西氏と同じく、「すべて派」の理論ブレーンの一人だった。

 2人の電話は、論文を発表したメディアへの大きなプレッシャーになった。そして「すべて派」による反撃開始の合図でもあった。

 「交鋒−当代中国三次思想解放実録」(今日中国出版社)などによると、5月11日に北朝鮮訪問から帰国した華国鋒主席は、同日付の光明日報に掲載された同論文のことを知った。

 当時は、77年8月の第11回党大会で確立した華国鋒体制の下で、毛沢東路線の継続に疑問はなかった。78年2月の第5期全国人民代表大会(全人代)でも華氏は首相に再選され、党主席、軍事委主席と合わせ党、政、軍の権力を依然一手にしていた。

 宣伝部門は「すべて派」の汪東興(おうとうこう)副主席が握り、あらゆるメディアは中央宣伝部のコントロール下にあった。論文発表は中央宣伝部の許可が必要であり、党の路線に対抗する文章は出るはずがなかった。

 それがなぜ出たのか。論文を最初に載せた「理論動態」は、華国鋒氏が校長を兼ねる中央党学校の機関誌で宣伝部のチェックは及ばず、同誌の文章を他のメディアが転載する場合もチェックが甘かったためだ。

 華国鋒氏は12日、人民日報などの転載を見て事態の重大性に気づき「この論文は毛主席に反対し、党中央に反対する趣きがある」と話す。汪東興氏は党中央宣伝部の張平化(ちょうへいか)部長に論文発表の経緯の究明と再発防止を指示した。

 汪東興氏は5月17日、ある会議の席で、「論文は矛先を毛主席に向けている」と決めつけ、人民日報などの責任者らを「党員としての階級性も資格もない」と激しく批判した。

 毛沢東と共産党が絶対だった当時は、汪氏の非難は極めて重かった。張平化宣伝部長もそれに呼応し、さまざまな会議で論文批判を繰り返し、調査と責任追及を始めた。

 「すべて派」による激しい反撃に、論文発表の仕掛け人、胡耀邦(こようほう)中央組織部長の周辺は重い空気に包まれる。論文に深くかかわった中央党学校の副教育長、呉江(ごこう)氏は「だれもものを言えなくなった。ひそかに反省文を書き始めた人もいた」と後に述べている。

 「このまま屈すれば、『すべて派』の主張が肯定され、自分たちの立場はさらに悪くなる」と判断した呉江氏は反論文を書く。「真理検証の基準は実践のみ」はマルクス主義と毛沢東思想にも合致していると強調した論文だった。

 しかし、論文を読んだ胡耀邦氏は、秘書を通じて呉氏に「(発表は)3カ月間待ってほしい」と伝えた。

 胡氏は自分以上に大きな圧力に直面していると呉氏は感じたという(呉江著「十年的路」などによる)。

 流れを変えたのはトウ小平(しょうへい)氏だった。トウ氏は6月2日、北京で開かれた全軍政治活動会議で、「真理検証」論文を全面的に支持し、「すべて派」をこう批判した。

 「実事求是(事実に基づき真実を求める)は毛沢東思想の出発点であり根本である。この根本的観点、根本的方法を忘れ、投げ捨て、反対する同志がいる。理論と実践を結びつけることを堅持する人に対し、大罪を犯したと考える者さえいる」

 この談話内容は翌日の人民日報、解放軍報などに「毛主席の実事求是は輝かしい思想とトウ副主席が語る」との見出しで掲載された。

 指導部内の対立が公然化し、論争は権力闘争へ転化していった。(伊藤正、矢板明夫)

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