MSN Japanのニュースサイトへようこそ。ここはニュース記事全文ページです。

【トウ小平秘録】(103)第4部 第2の革命 胡耀邦登場

2007.9.29 06:38
このニュースのトピックストウ小平秘録

 ■すべての冤罪を解決せよ

 北京の目抜き通り「王府井」の横丁にある富強胡同6号は、1989年の第二次天安門事件で失脚した趙紫陽(ちょうしよう)元総書記の住居だったが、80年代半ばまでは、胡耀邦(こようほう)総書記(肩書は当時、以下同)が住んでいた。

 76年10月12日、葉剣英(ようけんえい)副主席は息子の葉選寧(ようせんねい)氏をその胡耀邦氏宅に送り、6日前の極左四人組逮捕を伝えた。胡氏は同年4月の第一次天安門事件でトウ小平(しょうへい)氏が失脚した後、中国科学院の仕事を解かれ、自宅軟禁状態にあった。

 胡氏は葉氏と華国鋒(かこくほう)主席の「不朽の功績」を称賛して話す。

 「わが党はいま中興の偉業に立ち向かう時期にきた。それには人心が大事だ。人心とは何か。第一は、トウ小平批判を停止し、人心に従う。第二は冤罪(えんざい)事件を処理し、人心を喜ばせる。第三は生産を大いに促し、人心に花を開かせることだ」

 その後、胡氏は「君は華主席に会えるのか」と問う。葉氏が「あなたは華主席を知らないんですか」と問い返すと、胡氏は「いやよく知っている。1年半、一緒に仕事をした」と言った。

 胡耀邦氏は62年から1年半、共産主義青年団第一書記のまま、湖南省党委に下放したが、そのときの部下が華国鋒氏だった。その後、2人は対照的な人生を歩む。

 66年に始まった文革(文化大革命)で、胡耀邦氏は厳しい迫害を受けて失脚、75年に復活したものの、翌年にはまたも失脚した。華国鋒氏はその間、とんとん拍子で出世、いまや党のトップに上り詰めた。

 葉選寧氏を通じて、胡耀邦氏の考えは華国鋒氏に伝えられたが、一向に返事はなかった。77年3月、胡氏は中央党学校副校長として復活する。まず訪問したのは、失脚中のトウ小平氏だ。2人は国共内戦末期に出会って以来、浮沈を共にした同志だった。

 胡耀邦氏復活の前に、華国鋒氏の考えは明らかになっていた。毛沢東の指示、決定はすべて正しいという「二つのすべて」論だ。それに立てば、胡氏の、人心を得るための3項目提言は論外だった。

 ≪戴煌(たいこう)著「胡耀邦与平反冤假錯案」(中国工人出版社)による。書名中の「冤假錯」は冤罪、偽証、誤審のことで、「平反」はそれを正し、被害者の名誉を回復、救済するとの意味≫

 中央党学校は社会主義理論を研究、中堅幹部の教育をする重要な機関で、当時、華主席が校長を兼任していたが、実権は筆頭副校長の胡耀邦氏が握った。胡氏は「二つのすべて」打破を決意し、理論研究に着手する。

 胡氏が何よりも心を砕いたのは、冤罪問題だった。トウ氏も胡氏もその犠牲者だったが、毛沢東とその使徒による極左路線によって、正当な根拠のない罪で迫害された幹部や知識人が無数にいた。

 新中国発足前から度重なる「階級闘争」で失脚、名誉回復されず復職できない幹部は、77年当時、1700万人もいた。その影響を受けた家族や友人を含めると、1億人に被害が及んだ(胡耀邦氏の娘、満妹(まんまい)氏著「回憶父親胡耀邦」北京出版社)。

 極左路線の被害者は幹部や知識人に限らず大衆も同様だった。新中国発足後の「不自然死」は3000万とも4000万ともいう。「毛沢東の中国」は死屍累々(ししるいるい)の上に築かれた。

 四人組事件後、冤罪被害者の陳情が急増する。その処理を担当する部著は党中央組織部だ。当時の郭玉峰(かくぎょくほう)組織部長は軍人出身の毛沢東信奉者である。新中国発足前の延安時代以来、特務機関を握り「中国のベリヤ」と恐れられた康生氏が文革初期に抜擢(ばってき)した「鉄の男」だった。

 郭部長は、冤罪被害者を門前払いにし、陳情を圧殺し続けた。組織部の壁は抗議の壁新聞で埋まり、党中央には苦情の手紙が山のようになった。党機関紙「人民日報」は77年11月から被害者の投書を掲載し始める。

 郭玉峰氏は圧力に耐えられず、同年12月に辞職する。後任に選ばれたのが胡耀邦氏だった。

 胡氏は組織部長に就任すると、建国前を含め冤罪問題を解決すると宣言、幹部、大衆を問わず、いかなる陳情も拒否してはならないと指示する。胡氏は自ら陳情者と会い、また後難を恐れてためらう老幹部を訪ねて話を聞き、問題を処理したこともあった。

 満妹氏の著書によると、胡氏が組織部長に就任したころ、組織部には毎日、平均500件の陳情の手紙が届いたが、胡氏はそのすべてに目を通したという。

 ほぼすべての冤罪事件は毛沢東時代に発生した。そのうち、毛が指示ないし承認した重大事件の名誉回復は、「すべて」派の汪東興(おうとうこう)副主席らの抵抗に遭う。国民党に寝返り、党を裏切ったとされた「六十一人事件」もその一つだった。

 77年の大みそか、胡耀邦氏は、一老婦人がトウ小平氏あてに送った一通の手紙を読む。同事件に関係した内容だった。

 それが重大事件の名誉回復の突破口になっていく。(伊藤正)

                   ◇

【用語解説】ラブレンティ・ベリヤ(1899〜1953年)

 1919年にソ連共産党に入党、治安官僚として実権をふるった。独裁者スターリンの側近として大粛清にも関与したが、スターリンの死後、処刑されたとされる。

PR
PR

PR

イザ!SANSPO.COMZAKZAKFuji Sankei BusinessiSANKEI EXPRESS
Copyright 2008 The Sankei Shimbun & Sankei Digital
このページ上に表示されるニュースの見出しおよび記事内容、あるいはリンク先の記事内容は MSN およびマイクロソフトの見解を反映するものではありません。
掲載されている記事・写真などコンテンツの無断転載を禁じます。