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【トウ小平秘録】(100)第4部 第2の革命 妥協の復帰

2007.9.26 05:12
このニュースのトピックストウ小平秘録

 ■「一党員」では何もできない

 トウ小平(しょうへい)氏の復活を、記者(伊藤)は旅先の上海で知った。1977年7月22日夜、中国国営ラジオが前日閉幕した党10期中央委員会第3回総会(3中総会)のコミュニケを流し、トウ氏のすべての職務回復が全会一致で決議されたと伝えたのだ。

 ほどなく上海市内には3中総会開催を祝うデモが繰り出し、ドラの音とシュプレヒコールの渦になった。翌日の新華社電は、22日夜から23日朝までに200万の市民が街頭に出、3中総会の決定を熱狂的に支持したと報じた。

 しかし、現実にはデモは職場や学校ごとに組織されたもので、どこか冷めた空気が感じられた。スローガンも「華国鋒(かこくほう)主席(肩書は当時、以下同)を頭とする党中央を断固支持」「四人組を徹底的に批判しよう」といったものが大半で、トウ氏の名を出して復活を祝うものはまれだった。

 上海は、江青(こうせい)夫人ら四人組の拠点だっただけに、76年10月の四人組(逮捕)事件以降、党中央の厳しい統制下にあり、スローガンも党組織が決めていた。トウ氏の名を出さない指示があったようだ。

 同じころ、北京でも200万デモが夜通し続いた。こちらはトウ小平氏の復活を喜ぶ市民でお祭り騒ぎになった。市民たちは、76年4月の天安門事件(第一次)で失脚したトウ氏を英雄視し、復活を待望していた。

 ≪以上は当時共同通信北京支局員だった記者(伊藤)の体験に基づく≫

              * * * 

 77年7月16日から21日まで開かれた3中総会では、四人組事件直後、華国鋒氏の党主席兼中央軍事委主席就任を採択した政治局決議を承認、四人組の永久除名と併せ、党副主席などトウ氏の全職務への復帰を決めた。

 しかし天安門事件の再評価はなされなかった。トウ氏は4月に、汪東興(おうとうこう)中央弁公庁主任から復帰の条件として「天安門事件は反革命」と認める文書提出を求められた際、「事件は革命的行動だ」と拒絶し、事件の再評価と自身の復活は切り離せないとの考えを伝えていた。

 その後、王震(おうしん)全国人民代表大会副委員長らに対し、毛沢東の指示、政策はすべて正しいとする華国鋒主席の「二つのすべて」を批判、それを党内に広めさせてもいた。

 いったい3中総会までに何があったのか。それを示す資料は一切ないが、トウ氏が「二つのすべて」との闘争を先送りし、復活を優先させたとみて間違いないだろう。

 「トウ小平年譜」や「トウ小平文選」には、トウ氏が3中総会最終日の7月21日に行った演説の一部が収録されている。毛沢東思想を「正確かつ完全に認識、学び、運用する」必要を強調した部分などだ。このくだりは後に、毛沢東を神格化、絶対化した「二つのすべて」に対する批判とされた。

 年譜などは削除しているが、3中総会でトウ氏はさらに二点話している。一つは四人組を打倒した華国鋒氏の歴史的な功績をたたえ、主席就任を支持したこと、もう一つは自らの任務についてで、こう述べた。

 「私は職務復帰後、華国鋒主席の助手になり、必ず葉剣英(ようけんえい)副主席とともに華主席を補佐、全党全国人民を指導するつもりだ」

 その華主席が総会演説で述べ、コミュニケにも盛り込まれた路線とは次のようなものだった。

 「永遠に毛主席の偉大な旗を高く掲げ、毛主席の遺志を継いで、プロレタリア階級独裁下の継続革命を堅持し、要(階級闘争)に力を入れ、国を治める戦略方針を貫徹、四人組を摘発批判する偉大な闘争を徹底する」

 階級闘争を主にした継続革命論は、毛沢東が発動した文化大革命の神髄であり、その推進の中心になり、毛の信を得、権力を握ったのが四人組だった。

 彼らの打倒を正当化し、批判を徹底するために、華国鋒氏は四人組を「資本主義の復活をたくらむ極右勢力」と定義、毛路線への裏切りとした。だが華氏の路線は「四人組なき文革路線」であり、「二つのすべて」論にほかならなかった。

 後に胡耀邦(こようほう)中央党学校副校長(後の総書記)のブレーンになり、「二つのすべて」論打破に活躍した阮銘(げんめい)氏は、著書「トウ小平帝国」の中で、トウ小平氏の復活自体が大きな抵抗に遭ったと書く。

 それによると、軍を握る葉剣英、宣伝機関を握る汪東興両氏の支持をバックに華国鋒氏の権力は絶大だった上、長老の李先念(りせんねん)副首相がトウ氏を好まず、復活に消極的だった。その復活への壁を破るため、トウ氏は華氏への「全身全霊の支持」を表明したという。

 3中総会は「二つのすべて」論を前面に出し、天安門事件の再評価など話題にもならなかった。それどころか、総会コミュニケはトウ氏が演説した事実すら触れず、完全に抹殺した。

 トウ氏にとっては屈辱的な復活だった。しかし反革命事件の黒幕とされて失脚したトウ氏が、「一党員」の身分のままでは何もできないことも確かだった。

 3中総会の翌8月、第11回党大会が開かれた。その直後、73歳の誕生日を迎えたトウ氏は、巻き返しに動きだす。(伊藤正)

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