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【トウ小平秘録】(96)第4部 第2の革命 二つのすべて
周恩来(しゅうおんらい)首相の一周忌を迎えた1977年1月8日、北京はその冬一番の寒さで、最低気温は零下20度(セ氏)を超えた。しかし、市中心にある天安門広場は夕刻から静かな熱気に包まれていた。
数人の若者が広場にスローガンを出したのがきっかけだった。それは電柱と電柱を結んだロープにつるされ、周氏を追悼し、江青(こうせい)夫人ら四人組を打倒した党中央を断固支持する−と書かれてあった。
これが合図だったかのように、市民たちが集まり、スローガンや大字報(壁新聞)が次々に出始めた。夜が深まるにつれ、その数は増えていく。真夜中には数百点に上った。
同じ場所で9カ月前、周氏の追悼活動が反革命事件として弾圧された(第一次天安門事件)時とは異なり、壁新聞の大半は四人組を攻撃し、華国鋒(かこくほう)主席(肩書は当時、以下同)をたたえる内容だった。
それは半分は本心ではあったが、市民たちは党中央が天安門事件を再評価するよう強く望んでいた。一部の壁新聞には、事件で失脚したトウ小平氏の復職を求め、北京市革命委主任の呉徳(ごとく)など四人組以外の指導者を批判するものもあった。
≪以上は当時、共同通信支局員だった記者(伊藤)の取材体験による≫
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76年9月の毛沢東の死去に続く10月の文革派四人組逮捕で発足した華国鋒政権は、毛沢東の文革路線を継承した。しかし、華政権誕生に貢献した葉剣英(ようけんえい)党副主席や李先念(りせんねん)副首相ら軍や党の長老たちは、文革路線から近代化路線に転換し、文革中に迫害された幹部たちの復権を図ろうとしていた。
そうした指導部内の立場と思惑の違いは、トウ小平氏の復帰問題ではっきりしていく。
近代化を追求したトウ氏が、毛沢東、四人組と対立し、第一次天安門事件で失脚に追い込まれたのとは対照的に、事件後、毛沢東から「後継者」に抜擢(ばってき)された華国鋒氏は最大の受益者だった。トウ氏の復帰には天安門事件の再評価が不可避だったが、華氏にはその考えはなかった。
トウ小平氏が四人組逮捕を知り、華国鋒主席をたたえる手紙を送った1カ月余り後の76年11月18日、四人組事件で華氏の右腕になった汪東興(おうとうこう)党中央弁公庁主任(政治局員)は宣伝工作会議で「トウ小平は幻想を持たないほうがよい」とトウ氏の復帰願望を退けた。その理由をこう話す。
「トウ小平問題を定義した4号文書(第一次天安門事件後に発した党中央の通達)がある。どんなことがあっても4号文書は正しいのだ。毛主席が決めたことだから」
長老たちは反発した。李先念氏は77年の年頭レセプションで、党がトウ小平批判を続けていることについて、こう論じた。
「トウ小平に対する批判は全く根拠がない。四人組がトウ小平に反対するためにでっちあげた罪名を、すべてはっきりさせなければならない」
指導部内の意見対立は、社会に口コミで広がっていく。北京市民たちが周首相一周忌でとった行動の背景には、党内の論争を受け、党中央に天安門事件の再評価を促す意味があった。
しかし華国鋒氏らは、民衆の声の圧殺に出る。天安門広場の壁新聞は翌朝までに撤去され、北京市当局は「トウ小平復権」を求めるスローガンを出した李冬民(りとうみん)氏ら数人の青年を反革命罪で逮捕してしまうのだ。
そして2月7日、党機関紙「人民日報」、軍機関紙「解放軍報」、党理論誌「紅旗」に「文書をよく学び、要に力を入れよう」と題した共同社説が発表された。そのポイントは次の一節だ。
「毛主席が下したすべての決定を、われわれは断固支持する。毛主席のすべての指示を、われわれは終始一貫守る」
毛沢東を神格化、絶対化した言葉として、のちに「二つのすべて」と呼ばれるようになった有名なくだりだ。社説は汪東興氏の指示で中央弁公庁副主任の李●(りきん)氏が執筆の中心になったというものだった。
高まる天安門事件再評価の動きを、なお国民の間に根強い毛沢東信仰を利用して封じ込めようとの狙いだった。
それは華主席はじめ、文革で地位を得た既得権層の必死の防衛策にほかならなかったが、逆に華国鋒政権への疑問を生み、反対派を勢いづける結果を招く(今日中国出版社「交鋒−当代中国三次思想解放実録」などによる)。
党内外でトウ小平氏の復帰問題が焦点になる中、トウ氏の周辺にも変化が起こる。四人組逮捕後、北京市東城区のトウ氏の自宅には、葉剣英、李先念氏の関係者やほかの長老たちが訪れ、早く仕事に復帰してほしいなどと激励した。
76年12月、前立腺炎の手術のため軍病院に入院したが、見舞客は引きも切らなかった。トウ氏は同月14日、中央文書を読む権利を回復、届いた「四人組反党集団罪証(その一)」を読んだ後、続編(翌春発行)は不要だと言う。
その文書では「トウ小平批判の継続」がうたわれていた。
トウ氏自身の反撃がほどなく始まる。(伊藤正、矢板明夫)
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【プロフィル】トウ小平氏
(1904・8・22〜1997・2・19) 四川省生まれ。生涯で3度も失脚を経験したが、そのたびに復活。78年以降は最高実力者。
●=森の木が金