ニュース: 国際 RSS feed
【トウ小平秘録】(92)第4部 第2の革命 6者会談 (1/3ページ)
10月1日の国慶節(建国記念日)は、中国の最も重要な祝日だ。しかし、毛沢東が死去(9月9日)した1976年は慶祝行事はなく、北京はじめ各地で国慶節前夜に座談会が開かれた。
北京の座談会は9月30日夜、天安門楼上で行われ、労働者、農民、兵士、学生らの代表400人と、華国鋒(かこくほう)党第一副主席(肩書は当時、以下同)ら在京の主要な指導者ほぼ全員が顔をそろえた。
むろん江青(こうせい)夫人ら四人組も出席した。華国鋒氏が「悲しみを力に変え、毛主席の遺志を継ぎ、革命事業をやり抜く」と演説し、党中央の団結ぶりを印象づけた。
だが、華国鋒氏と四人組は実際にはその日の朝まで、政治局会議で激論を交わしていた。華国鋒派はこの後、四人組逮捕の実行段階に入る。四人組が出席した最後の政治局会議であった。
尹家民(いんかみん)著「紅壁見証録」(当代中国出版社)によると、この政治局会議は、9月29日午後11時から人民大会堂で開かれた。国慶節への対応が主議題で、華国鋒氏が慶祝行事中止を発表した後、四人組の軍師、張春橋(ちょうしゅんきょう)政治局常務委員の提案で、座談会開催が決まったという。
会議では突然、江青夫人が、75年秋以来、毛沢東の連絡員をしていた毛遠新(もうえんしん)瀋陽軍区政治委員を北京に残したいと言い出す。彼は毛沢東のおいで、江青夫人ら四人組の強力な味方だった。
当然、華国鋒氏は反対した。葉剣英(ようけんえい)党副主席や汪東興(おうとうこう)党中央弁公庁主任、李先念(りせんねん)副首相らも華氏を支持し、激論になる。毛沢東の連絡員の任務が終わった以上、瀋陽に戻すべきだという華氏らに対し、四人組側はこう主張する。
「毛遠新同志は毛主席の傍らで仕事をし、主席の考えや指示に通じている。毛主席の教えを継承していくために、遠新同志に主席の文書の整理をしてもらう必要がある」