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【トウ小平秘録】(88)第4部 第2の革命 現代の易姓革命 (1/3ページ)
中国共産党が延安(陝西省)を革命の根拠地にしていた時代、毛沢東がロシア語通訳の師哲(してつ)氏に「大統領と皇帝の違いは何だと思うか」と質問した。師氏がいくつか違いを挙げると毛沢東は大笑いして言った。
「実は同じなんだよ!」
このエピソードは、2002年に毛沢東の元秘書、李鋭(りえい)氏がある席で話した。直接それを聞いた元新華社記者の楊継縄(ようけいじょう)氏が著書「中国改革年代的政治闘争」で披露し、こう書いている。
「毛沢東のこうした理解は不思議ではない。中国の農業社会に育ち、西洋の民主や法治の教育を受けなかった彼の目には、大統領も皇帝も天下に君臨し、万民を統率するものであり、当然違いはないと映っていた」
共産党の独裁制度を社会の末端にまで行き渡らせ、国民の生活から意識まで支配した毛沢東。1949年の中華人民共和国誕生以来の27年間、彼は過去のいかなる皇帝も及ばない絶大な権力をほしいままにした。
76年9月9日に毛沢東が死去した後、多くの国民は涙ながらに「毛主席万歳」を叫び、「永遠に毛主席に従う」と誓ったが、やがてひそひそ話を始めた。「毛主席の後継者はだれか」
人びとの関心は、単純に後継者はだれかという点だけに向いていたわけではない。新指導者が、毛沢東の晩年に一層ひどくなった抑圧と貧困から脱する政策に転換するか−への期待も含まれていた。
中国の古代思想では、天子(皇帝)は天命によって国を統治し、天子が民百姓の安寧を具現できず徳を失えば、天命も革(あらた)まり、新たな有徳者が王朝を興すとされていた(易姓革命という)。王朝交代はしばしば暴力で実現した。
毛沢東も、武力で国民党政権の圧政から国民を救った革命者、とされた。しかし、その威信は晩年に重ねた失政によって失われ、特に76年4月に民衆の近代化への願望を鎮圧した第一次天安門事件で、革命の遺産をほとんど使い果たした。