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【トウ小平秘録】(89)第4部 第2の革命 「四人組」逮捕 (1/3ページ)
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北京の中心、故宮の西隣にある中南海は、中国共産党の主要指導者が住み、中央機関も所在する中国政治の中枢だ。
1976年10月6日夜、高い赤塀に囲まれたその内側で、毛沢東夫人の江青(こうせい)政治局員(肩書は当時、以下同)ら「四人組」逮捕事件が起こった。毛沢東の死去から1カ月もたっていなかった。
同日の深夜から7日朝にかけ、北京市西郊の玉泉山で政治局会議が開かれ、華国鋒(かこくほう)第一副主席の党主席兼軍事委主席就任を全会一致で決定した。毛沢東の後継争いは決着した。
「宮廷クーデター」さながらの政敵追放劇は、華国鋒氏、葉剣英(ようけんえい)副主席、李先念(りせんねん)政治局員(副首相)、汪東興(おうとうこう)中央弁公庁主任らが周到に準備したシナリオ通りだった。
それは中国共産党史に前例がなく、毛沢東時代のルールにも反していた。毛沢東は、指導者を追放する場合、会議での多数決という手続きを踏んだ。無法がまかり通った文化大革命期でさえ、トウ小平(しょうへい)氏の2度の失脚を含め、そうだった。
政治局会議で解任しようとの意見もなかったわけではなかった。北京市革命委員会主任の呉徳(ごとく)政治局員もその1人だった。同氏生前の口述記録「十年風雨紀事」(当代中国出版社、2004年)で、76年9月下旬に華国鋒、李先念両氏と行った密談を明かしている。
呉氏は、政治局員の大半は四人組解任に賛成すると主張した。それに対し李先念氏が口を挟んだ。「君はフルシチョフがどのようにして権力を握ったかを知っているか」
呉氏は「当然だ」と応じ、スターリンの後継争いで、少数派だったフルシチョフが軍の支持を得て中央委員会総会を開き、多数派だったモロトフ、マレンコフに勝利、2人を反党集団にした故事を話した。