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【トウ小平秘録】(87)第4部 第2の革命 毛沢東死去 (1/2ページ)
「わが党、わが軍、わが国各民族人民の敬愛する偉大な領袖、国際無産階級と被圧迫民族・人民の偉大な領袖であり、中国共産党中央委員会主席、中央軍事委員会主席の毛沢東同志は、治療のかいなく1976年9月9日午前0時10分、北京で逝去した」
毛沢東が82年余の生涯を閉じたことは、16時間後の9月9日午後4時すぎ、国営放送を通じ発表された。当時、共同通信北京支局員の私(伊藤)は、天安門広場の拡声器で放送を聞いた。
そのとき、広場の国旗「五星紅旗」は2人の衛兵によって半旗にされ、周囲にいた7、8人の青年たちが、倒れ込んで号泣した。私はその瞬間を目撃し、撮影した唯一の記者だった。
直前の失敗談から始める。
その日午後、日中陸上競技大会の準備で訪中した青木半治陸連会長(肩書は当時、以下同)の北京飯店の部屋にいた。午後2時に予定されていた中国側との協議は、3時を過ぎても連絡がないままだった。
「おかしいですね」と話していたとき、共同の支局長から電話が入った。「午後4時に重要放送があるとの予告があった。外務省報道局はだれも電話に出ない。『毛沢東』に違いない」
3時20分を回っていた。1分でも早く情報を確認し、送信するのが通信社の仕事だ。青木氏に「毛沢東が死んだようです」と言い、辞した。
ホテルのロビーで旧知の中国人幹部を見つけ尋ねた。「重要放送とは何か」。彼は黙って走り去った。
質問を間違えたことを知った。「毛主席が死んだんですね」と叫んだが、後の祭りだった。
毛沢東の住む中南海の周りを車で回った。何も異常はない。再びホテルに戻ると、服務員たちが泣きながら大食堂に向かっていた。重要放送を聞くためだ。
顔見知りの責任者に声をかけた。
「毛主席が亡くなられたことにお悔やみ申し上げる」
彼は沈痛な表情で「お悔やみに感謝する」と言い、その日未明に毛沢東が死去したと明かした。発表の10分前だった。
当時は国際電話は申し込み制で、いつつながるか分からない。共同支局の専用線だけが頼りなので、支局に電話をかけた。だが、支局長は自宅の資料を取りに出た直後で不在だった。私は速報を断念し、その瞬間を撮影すべく天安門広場に急行した。
毛沢東の死で一つの時代が終わった。次に何が起こるか。すでに72歳になっていたトウ小平(しょうへい)氏がやがて復活し、中国を劇的に変えていくとは、想像もしなかった。
矛盾をはらみながらも驚異的な経済成長を続け、外交・軍事面でも存在感を増す。われわれはいま、そんな今日の中国のすべてが毛沢東の死によって始まったことを知っている。毛沢東死去の世界史的な意味が明らかになるにつれ、その速報をやり損なった悔いから、私は何年も悪夢にうなされた。
(中国総局長 伊藤正)