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【トウ小平秘録】(83)第3部「文化大革命」 失脚選択 (1/3ページ)
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「でたらめだ! 意味が違う。農業を学ぶ会議なのに、水滸(すいこ)批判をやるとは。分からんやつだ」
1975年9月24日、同月中旬の「農業は大寨(だいさい)に学ぶ」会議で、妻の江青(こうせい)が「水滸伝批判は2つの路線(文革か、修正主義か)の闘争だ」と話したとトウ小平(しょうへい)氏から聞くと、毛沢東は怒りを表した。
梁山泊(りょうざんぱく)の英雄豪傑を描いた古典小説「水滸伝」について、首領の宋江(そうこう)を「投降主義」とした毛沢東の批評を、江青ら文革派「四人組」は強引にトウ氏批判の材料に利用したのである。
「大寨会議」で、あらゆる分野での整頓の必要を強調したトウ氏に対し、江青はこう演説した。
「水滸伝の要は、宋江が(前の首領の)晁盖(ちょうがい)を排除、棚上げし、土豪劣紳(地主や地方ボス)らを招き入れて主要なポストを占拠し、投降したことにある。わが党内にも毛主席を棚上げにする投降派がいる」
復活幹部を重用、経済建設に努める周恩来(しゅうおんらい)首相やトウ小平氏への露骨なあてこすりだった。
江青はこの演説を下部に流すよう要求していたが、毛沢東は江青を厳しく批判、要求を却下する。毛は依然、トウ氏の整頓を支持していた(中共中央文献研究室編「毛沢東伝」)。
その3日後、一人の男が毛沢東を訪ねてくる。実弟の毛沢民の遺児、毛遠新(もうえんしん)だった。沢民が43年に地方軍閥に殺害された後、毛沢東夫妻は幼い遠新を引き取り、実娘と分け隔てなく育てた。
毛遠新は文革前に東北のハルビン軍事工程学院に入学、造反派としてならし、いまは遼寧省党委書記、瀋陽軍区政治委員の要職にある。毛沢東はおいの成長を喜び、その話に耳を傾けた。