ニュース:国際 RSS feed
【トウ小平秘録】(82)第3部「文化大革命」 「水滸伝」批判 (1/3ページ)
このニュースのトピックス:舞台
文化大革命(1966〜76年)当時、中国庶民の生活は貧しく、自由もなかった。74年11月、広州市内に張り出された李一哲(りいってつ)の大字報は、西側からはるかに立ち遅れた現状を憂い、極左文革路線を批判したことで大反響を呼んだ。
後年の改革・開放時代を含め、トウ小平(しょうへい)氏の神髄は、国民の欲求を満たすことこそ政治指導者の使命と考え、頑固に自分の政策を貫いた点にある。おそらくトウ氏も多くの国民同様、李一哲の主張に共感したに違いない。
75年1月に党、政府、軍の実権を握った後、トウ氏が主導した「全面整頓」は国民経済の向上に重点があったが、あらゆる分野に及んだ。どの分野でも多数の幹部が打倒され、文革の影響は深刻だったからだ。
庶民の間で不満のタネは、江青(こうせい)夫人の指導する文化・芸術だった。革命や戦争の英雄を持ち上げ、共産党を賛美する「革命模範作品」一色になり、映画、演劇、音楽、文学や学術など各界で多数の「ブルジョア」が排除、迫害された。
75年当時、北京市民の間で流布された政治小話がある。
「江青主催の文芸の夕べで、『沙家浜(さかひょう)』(抗日戦をテーマにした革命模範京劇)が上演された。トウ小平が江に『大変面白かった。お礼に次は私が招待する』と言った。江青が指定の会場に行くと、演目は『沙家浜』だった。江は激怒した。『何よ、こんなの見あきたわよ』」
当時、ひそかに口づてにされた小話には、江青を皮肉り、トウ小平氏に期待するものが圧倒的に多かった。
75年6月、トウ小平氏は文革派「四人組」が握る文芸や理論・宣伝分野を整頓しようと考え、その拠点として、国務院政治研究室を発足させた。