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【トウ小平秘録】(78)第3部「文化大革命」 軍司令官交代 (1/3ページ)
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♪ 大衆のものは、針一本、糸一本とらない
1973年12月21日午後、北京・中南海(要人の居住区)の会議室に歌声が響いた。毛沢東、周恩来(しゅうおんらい)首相(肩書は当時、以下同)、トウ小平(しょうへい)氏や軍指導者ら約50人が、声を張り上げる。
「三大規律八項注意」と題したこの歌は、中国共産党軍の草創期に作られた兵士の略奪や暴行を戒める軍紀に、メロディーをつけたものだ。戦争時に最もよく歌われた軍歌の一つだった。
「毛沢東伝」(中央文献出版社)によると、この日、毛沢東は中央軍事委会議のメンバーと接見。終わり近くになって、周恩来が合唱を提案した。
同月中旬から、毛沢東は毎日のように、政治局メンバーや軍指導者と会っていた。トウ小平氏を軍総参謀長に任命し、8大軍区司令官の異動案を説明した。会合の締めくくりは、いつもこの歌の合唱だった。
「一切は指揮に従い、歩調を一致させて勝利を勝ち取る」
この「三大規律」の第一規律を軍指導者に再確認させる−それが、毛沢東の狙いだと周恩来は知っていた。数日前の別の接見で、毛沢東はこう強調したからだ。
「林彪(りんぴょう)は(私たちと)歩調を一致させなかったから、勝利することができなかったのだ」
林彪事件から2年余がたったが、林彪時代の後遺症は深刻だった。軍人の工場などへの派遣は、人事に摩擦と混乱を引き起こした。多数の古参幹部が失脚、造反運動の影響は軍の指揮系統に及んでいた。
80歳の誕生日を前に、毛沢東は、林彪に匹敵する軍歴を持ち、軍長老との関係も深いトウ小平氏を起用し、軍の整頓に本腰を入れ始める。8大軍区の司令官を異動させる提案は、トウ小平氏のアイデアだった、と周恩来秘書だった童小鵬(どうしょうほう)氏は書く(「在周恩来身辺四十年」)。