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【トウ小平秘録】(77)第3部「文化大革命」 軍師登場 (1/3ページ)

2007.7.12 07:43
このニュースのトピックストウ小平秘録
王洪文氏王洪文氏

 「わしは今、一人の軍師にお出まし願った。その名はトウ小平(しょうへい)という」

 1973年12月14日、北京の人民大会堂。居並ぶ政治局員の間に、毛沢東の高揚した声が響いた。その10日ほど前、トウ小平氏の周恩来(しゅうおんらい)首相(肩書は当時、以下同)批判発言を聞いたときの興奮を引きずっていた。

 「彼は政治局員、軍事委員になると通知した。政治局はすべてを管轄する。党、政府、軍、人民、学校、東西南北中すべてだ。政治局に秘書長を置きたいが、(トウ氏に対し)この名称が不要なら、参謀長だな」

 3日前に開会した政治局会議で、毛沢東は、大軍区の人事異動とともに、トウ小平氏の政治局入りを提案、次期中央委員会総会(10期2中総会)で追認することにして全会一致で決まった。

 《トウ氏は75年1月の2中総会では、追認どころか党副主席に選出され、筆頭副首相、軍事委副主席、軍総参謀長も兼任、党、政府、軍を仕切る》

 トウ氏の政治局入りは、江青(こうせい)夫人ら文革派に衝撃を与えた。4カ月前の第10回党大会(8月24〜28日)の路線はどうなるのか。

 党大会は71年の林彪(りんぴょう)事件を総括し、文革継続の新体制を確立した。そこで38歳の王洪文(おうこうぶん)という国際的には無名の男が、ナンバー3の副主席に就き、世界を驚かせた。

 王洪文は67年1月、上海の奪権闘争(1月革命)で活躍した造反派労働者のリーダーで、69年の第9回党大会で中央委員に当選、上海市革命委員会の副主任になった。

 江青、張春橋(ちょうしゅんきょう)、姚文元(ようぶんげん)ら上海3人組の下っ端にすぎなかった男を、毛沢東はなぜ抜擢(ばってき)したのか。

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王洪文氏
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