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【トウ小平秘録】(76)第3部「文化大革命」 批林批孔 (1/3ページ)

2007.7.11 08:15
このニュースのトピックストウ小平秘録

 ■急上昇で苦悩が始まる

 トウ小平(しょうへい)氏が復活した1973年春当時、党中央(政治局)の日常業務は周恩来(しゅうおんらい)首相が統括し、国務院(政府)は李先念(りせんねん)副首相、軍は葉剣英(ようけんえい)軍事委副主席が主管していた。66年に始まった文化大革命の混乱が収まるにつれ、実務家グループが国務を支配しつつあった。

 これには、文革推進の中核で、一時は党中央そのものになった中央文革小組(66年8月発足)が、69年の第9回党大会で事実上解消したことが大きかった。

 この党大会で政治局入りした中央文革小組の中心メンバー、江青(こうせい)、張春橋(ちょうしゅんきょう)、姚文元(ようぶんげん)の3人と党副主席の康生(こうせい)は、71年の林彪(りんぴょう)事件後、党中央の支配勢力になったものの、老幹部の相次ぐ復活による実務家グループの実権回復に脅威を感じ始める。

 「上海グループ」と呼ばれた彼ら文革派は、実務家の代表、周恩来を標的にする。72年夏から始まった批林(林彪批判)整風運動が彼らに最初のチャンスをもたらした。

 周恩来は林彪を「極左」とし、「極左思潮」との闘争を呼びかけた。72年10月、周恩来の意見に基づき、人民日報などが極左思潮批判の文章を発表。11月には対外関係の総括文書にも、同趣旨の分析が掲載された。

 これに江青らがかみつく。「極左」批判は文革の否定になりかねない。文革派は林彪は「極右」だと主張した。同年12月中旬、毛沢東が論議に決着をつける。

 「林彪路線の実質は極右、修正主義、分裂、陰謀ペテン、党と国への謀反だ」

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