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【トウ小平秘録】(74)第3部「文化大革命」 奪権闘争終結 (1/3ページ)

2007.7.9 08:12
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 1968年10月、共産党8期中央委員会第12回総会(12中総会)が開かれた。劉少奇(りゅうしょうき)国家主席(肩書は当時、以下同)らを処分するなどして文化大革命に区切りをつけ、第9回党大会(69年4月)を迎えるためだった。

 それは毛沢東が66年暮れに発動した「全国・全面的」奪権闘争が終結したことを意味していた。奪権闘争とは、従来の党・行政組織を破壊、毛沢東派の組織につくり直すことだ。

 67年1月、上海の造反派が市の権力を奪い、その後、新たな行政機関として革命委員会が発足。68年9月までに全国の一級行政区(省・自治区・特別市)すべてで革命委が成立した。

 革命委は、「革命的大衆」、つまり造反派の政権参加に最大の特徴があった。例えば、壁新聞第1号を書いた北京大学女性講師の聶元梓(じょうげんし)は、北京市革命委副主任に就いている。

 奪権闘争は、武闘による流血事件を引き起こしただけでなく、大量の幹部を打倒した。それは12中総会出席者の異常な構成に反映している。

 8期の中央委員97人(うち10人は死去)中、出席者は40人、総会成立の必要数(定数の半数以上)に届かず、急遽(きゅうきょ)委員候補から10人を補選した。それを除くと、委員候補(98人中12人が死去)の出席者は9人しかいなかった。

 中央委員、同候補合わせて59人以外に、74人が総会に出席した。その大半は、江青(こうせい)派の拠点である中央文革小組と林彪(りんぴょう)派の軍事委員会弁事組のメンバーらが占めていた。

 12中総会は、紅衛兵運動から奪権闘争まで連携し指揮した江青と林彪の勝利を象徴していた。その過程では、彼らは時には「身内」を切り、利用しあった。

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