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【トウ小平秘録】(73)第3部「文化大革命」 天下大乱 (1/3ページ)

2007.7.7 08:05
このニュースのトピックストウ小平秘録

 「毛主席は、いまや劉少奇(りゅうしょうき)は公開批判(の標的に)しなければだめだ、と言ったのよ」

 1966年暮れ、毛沢東夫人の江青(こうせい)はそう話した。それまで毛沢東は、劉少奇国家主席(肩書は当時、以下同)はむろん、トウ小平(しょうへい)総書記や陶鋳(とうちゅう)中央宣伝部長への公開批判を許さなかった。

 73歳の誕生日を迎えた12月26日、毛沢東は北京の中南海(要人居住区)に江青ら中央文革小組のメンバーを招いて会食した際、「全国・全面的階級闘争を祝し乾杯」と音頭を取った。

 「全国・全面」とは、鉱工業と農村でも文化大革命をやるという意味だ。さもなければ、文革は中途半端に終わり、資本主義の道を歩む実権派(走資派)も資本主義と修正主義も一掃できないと毛沢東は考えていた。

 《夕食会に出席した中央文革小組員の王力(おうりき)の回顧録による》

 前回書いたように、周恩来(しゅうおんらい)首相は66年9月に、紅衛兵運動が農工業生産に影響を与えない措置を講じた。続いて労働者の運動参加を規制する案が検討されたが、林彪(りんぴょう)副主席が反対、時間外の運動は認める方針が11月に決まり、労働者の造反組織が続々誕生する。

 林彪はその際、江青を軍の文革小組の指導者に迎え、関係を緊密化した。林彪と江青は後に衝突したように矛盾を抱えながら、権力への野心実現に毛沢東を利用する点では共闘関係にあった。

 多くの関係書は、毛沢東が早くから、江青、林彪の野心を見抜き、特に江青に対しては繰り返し警告してきたと書く。しかし、毛沢東が、死の瞬間まで江青に寛容かつ従順で、権力を与え続けた謎は未解明のままだ。

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