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【トウ小平秘録】(49)第2部「南巡講話」 「猫」「鳥」対決

2007.5.3 08:32
このニュースのトピックストウ小平秘録

 中国で改革・開放をめぐる論争が起こる度、香港のメディアは「『猫』『鳥』対決」などと呼んだ。トウ小平(しょうへい)氏の「白猫でも黒猫でもネズミを捕る猫はいい猫」論と保守派重鎮の陳雲(ちんうん)中央顧問委主任(肩書は当時、以下同)の「商品経済(鳥)は計画経済(鳥籠(かご))の中で羽ばたかせる」論に由来する。

 1991年の「姓社姓資」(社会主義か資本主義か)論争も同様だったが、「『猫』『鳥』最終戦」とか「最後の決戦」との表現もあった。当時、トウ氏86歳、陳氏85歳。89年の天安門事件とソ連・東欧の激変という危機状況の中で、両氏は中国の未来をかけた論争に決着をつけようとした。

 過去の保革論争は、保守派の改革派攻撃で口火を切ったが、今回は仕掛けたのがトウ小平氏自身だった。

 天安門事件で保守派と組んだトウ氏は、事件後は反ブルジョア自由化や反和平演変(平和的体制転化)を唱え、結果として保守回帰を促進してしまい、自ら推し進めようとした改革・開放をピンチに陥れた。トウ氏が91年初めに上海に行き、皇甫平(こうほへい)論文を通じて保守派に反撃したのが論争の始まりだった。

 香港誌「鏡報」91年11月号によると、「姓社姓資」論が初めて表に出たのは、91年3月初めに刊行された国家教育委員会の「高校理論戦線」誌だった。保守派の何東昌(かとうしょう)同委第1副主任が90年末に執筆を指示したという。最初の皇甫平論文が出たのは91年2月15日であり、それ以前から改革・開放攻撃を準備していたことになる。

 「社会主義か資本主義かを問わねばならないのは、現実に2種類の改革観と改革があるからだ。それを問わないと、人びとの思想的武装を解き、2種類の改革の境界あいまいになって、自由化改革観の氾濫(はんらん)に門を開く」

 この文章を皮切りに、党宣伝部傘下の党理論誌「求是」や保守派理論家の●力群(とうりきぐん)氏らの指導下にある「真理の追求」「中流」「当代思潮」などの雑誌、新聞では「人民日報」と「光明日報」が「姓社姓資」論を展開していく。

 保守派の主張は、次第に攻撃対象が拡大し、鋭さを増す。その中には、文革中の唯生産力批判を想起させるトウ小平氏への間接批判もあった。

 「生産力発展を唯一の活動の標準にし、『経済さえうまくやれば、精神文明(思想など)も自然に良くなり、政治風波は起こらない』というのは、かつて機会主義者が唱えた『通俗生産力論』の複製品に、ちょっぴり新しい視点を加えたにすぎない」(「真理の追求」91年10号)

 「真理の追求」は翌11号では「中国内部の資本主義の道を行く改革派」との言葉さえ使う。文革中、トウ小平氏にかぶせられた「資本主義の道を行く実権派」(走資派)のレッテルのもじりで、宣伝・思想担当の李瑞環(りずいかん)政治局常務委員が激怒、編集部に謝罪させたという(「鏡報」92年1月号)。

 保守派の最大拠点になった党機関紙「人民日報」は91年9月1日、党中央組織部元副部長の陳野蘋(ちんやひん)氏の長大論文「徳才兼備は徳が主−幹部選抜の標準」を掲載、陳雲氏の言葉を引用し、(92年に開催予定の)14回党大会では、「徳」、つまり共産主義理念に忠実な「革命化」を標準にすべきだと主張した。

 この文章は、実務能力(才)があり、改革・開放志向(徳)の明確な幹部登用を主張した皇甫平の第4論文への反論だった。その中では趙紫陽(ちょうしよう)前総書記が実務力を幹部登用の標準にしたと批判したが、趙氏の名を使ったトウ氏批判にほかならなかった。

 翌2日付の人民日報社説「改革・開放をさらに一歩進めよう」をめぐり事件が起こる。社説は1日、党中央の批准を経たが、その後、文中に次の一句が加えられた。

 「改革・開放においては、『姓社姓資』を問い、社会主義の方向を堅持しなければならない。『姓社姓資』を問う目的は、公有制中心を堅持するためである」

 社説は1日午後、新華社を通じて配信され、夜の国営テレビが放送した。この改竄(かいざん)を知った李瑞環氏は激怒し、江沢民(こうたくみん)総書記らに報告、同日深夜、加筆部分を削除、新華社に再配信させた。

 改竄の“犯人”は、人民日報の高狄(こうてき)社長自身だった。当時、人民日報社内では、強硬派の社長批判が強く、この事件の経緯を書いた内部文書が、私が当時支局長を務めていた共同通信北京支局にもファクスで送られてきた。

 91年を通して、保守派の論調には目を見張るものがあった。「赤旗を掲げ、赤旗を倒す」(毛沢東)のと同じように、トウ小平氏の言葉を使い、トウ氏の政策に反対する手法で、階級闘争必要論にまで飛躍していった。

 保守派が威勢を増した背景の1つには、8月のクーデター未遂事件に始まったソ連の崩壊があった。次回で書く。(伊藤正)

 ●=登におおざと

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【用語解説】唯生産力批判

 1970年代半ば、江青女史ら極左4人組がトウ小平氏批判に使った言葉。トウ氏は75年に病気の周恩来首相に代わって近代化建設を追求、生産現場を整頓し生産向上を図った。これに対し4人組は「階級闘争が要」とする毛沢東の路線を盾に、主要な矛盾は生産力の向上では解決できないと批判、76年の第1次天安門事件でトウ氏が失脚した後「右からの巻き返しに反撃する」運動を展開し、唯生産力を攻撃の柱にした。

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