ニュース:国際 RSS feed
【トウ小平秘録】(39)第2部「南巡講話」 ソ連・東欧の波
1989年に始まったソ連・東欧の激変は、中国ではいつしか「蘇東波(そとうば)」と呼ばれるようになった。北宋(11世紀)の宰相、王安石と対立、地方に流された憂国の詩人、蘇東坡(そとうば)になぞらえた表現で、その作品の暗い響きが中国の指導部の心情とマッチしていた。
前回書いたように、中国内部では、89年末にはゴルバチョフ・ソ連共産党書記長(肩書きは当時、以下同)を激変の「元凶」と認識したが、同年6月の天安門事件以前には、そうではなかった。李鵬(りほう)首相は89年春の全国人民代表大会(全人代)の政府活動報告でこう述べている。
「国際情勢はいま大転換というべき変化を遂げつつある。対抗から対話へ、緊張から緩和へーが世界の大潮流になった」
その1カ月前に決まったゴルバチョフ氏の訪中は、その象徴だった。50年代末以来の中ソの敵対関係に終止符を打つ歴史的な和解が実現したのは、ゴルバチョフ氏が、中国が主張する中ソ間の「3大障害」の除去に同意した結果だった。
中ソ和解に最も積極的だったのがトウ小平氏だ。トウ氏は85年10月、訪中したルーマニアのチャウシェスク大統領に、ゴルバチョフ氏あてメッセージを託し、中ソ首脳会談への希望を述べていた。
88年10月に訪中したチャウシェスク氏にトウ氏は、「3年前のメッセージ」に触れ、中ソ首脳会談が来年にも実現するとの見通しを語っている(「トウ小平年譜」などによる)。
チャウシェスク氏は、毛沢東時代以来、中国が最も信頼する「友人」だった。89年12月25日、同氏が「処刑」されたとき、中国指導部は強い衝撃を受ける。人民日報は、27日付の第4面に3行の新華社電を掲載しただけだった。
それより前、東欧社会主義諸国で民主化のうねりが起こり、11月には東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」も崩壊する。そして12月2日、ブッシュ大統領とゴルバチョフ書記長初の首脳会談(マルタ)で、冷戦終結が宣言された。
東欧での「無血革命」に反し、武力で独裁政権を守った中国は完全に孤立する。そうした中で、トウ小平氏は11月23日、タンザニア革命党のニエレレ議長と会談、国際情勢について話した。
「冷戦終結を願っているが、いまは失望している。別の冷戦が始まっているからだ。西側諸国は、社会主義国に硝煙なき第3次戦争、つまり和平演変を行っている。東欧の変化は意外ではなく、遅かれ早かれ表面化したに違いない」
トウ氏は中国でも同じでブルジョア自由化の「動乱」が起こったが、断固として阻止したと言い、再発しても断固阻止すると強調した。武力鎮圧への確信は不変だった。
国際的孤立に陥った中国に手を差し伸べたのは、米国の「古い友人」だった。1989年10月のニクソン元大統領に続き、11月にはキッシンジャー元国務長官が訪中し、トウ小平氏と会談した。その直前の11月6日、ブッシュ大統領からトウ氏に密書が届く。
「米ソ首脳会談を近く開くが、中国の利益を損なうことはない。(72年の)ニクソン訪中時の地政学的原因は依然存在し、米中は多くの分野で利益を共有している。首脳会談について説明するため、スコウクロフト特使を再派遣したい」
銭其●(せんきしん)外相の回想録「外交十記」によると、これを見たトウ小平氏は、中米間の主要問題を解決するパッケージ案をまとめ、折よく訪中していたキッシンジャー氏にブッシュ大統領へ伝達を頼んだ。トウ氏の提案は次の4点だ。
(1)(北京の米大使館で保護中の)方励之(ほうれいし)夫妻を米国ないし第3国に出国させる(2)米国は対中制裁の解除を発表する(3)比較的規模の大きな中米経済協力項目の実施に共同努力する(4)来年の適当な時期に江沢民(こうたくみん)総書記を米国に招請するー。
「指名手配犯」方励之(れいし)夫妻の出国は、トウ氏にとって大きな譲歩だ。方氏はブルジョア自由化を広めた張本人として、夫妻をかくまう米国とともに非難キャンペーンにさらされていた。トウ氏自身、方氏への憎しみは強く、天安門事件後も何度も方氏を名指し批判した。
その交換条件が制裁解除だった。「制裁など何でもない」との発言とは逆に、トウ氏は制裁を最も気にしていた。国際金融機関の融資や日本のODA(政府開発援助)がストップし、米中間の大型経済取引も中断したままだったからだ。
米大統領特使スコウクロフト補佐官は12月9日北京入りし、トウ氏らと会談した。7月の極秘訪中と違って、今回は事前に公表された。トウ氏の提案に関しては具体的進展はなかった。
銭外相は「東欧の変化で、米国は世界情勢全般の見直しを始め、中国との関係改善を急がなくなった」とし、トウ氏のパッケージ提案前の状態に戻ったと述べている。
米国の関心はソ連・東欧の変化に向かい、スコウクロフト訪中も高官交流停止の制裁措置違反と批判された。1週間後には7月の極秘訪中が暴露され、ブッシュ政権が制裁解除に応じることは一層困難になった。
それは対米関係打開に動いたトウ小平氏の立場を困難にさせた。しかしトウ氏はあきらめなかった。年明け早々の戒厳令解除も努力の一環だった。
(中国総局長 伊藤正)
◇
【用語解説】中ソ間の3大障害
(1)中ソ国境およびモンゴル(2)アフガニスタン(3)ベトナムおよびカンボジア−へのソ連軍駐留のことで、中国は1982年に始まった中ソ正常化交渉で撤退を要求。同年秋の第12回党大会の政治報告に明記。うち最も難航したのが(2)のアフガニスタン撤退問題だったが、88年4月の関係国協議で、駐留部隊11万5000人の半数を8月15日までに、残り半数を89年2月15日までに撤収する合意に達し、実行された。
●=深のサンズイを王に