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【トウ小平秘録】(9)第1部 天安門事件 劉トウ路線 「社会主義とは何か」
趙紫陽(ちょうしよう)氏の総書記時代の政治秘書だった鮑●元党中央政治体制改革研究室主任は天安門事件(第2次、1989年)後、刑事罰(懲役7年)を受けた唯一の党高官(中央委員)として知られる。釈放後しばらく沈黙を守っていたが、数年前から海外メディアなどに「真相」を語り始めた。
2004年10月、米コロンビア大学で開かれたシンポジウム「趙紫陽と中国改革」に寄せた文章で、趙氏について「分からないものは分からないと言う、徹底的な実事求是(事実に基づき真実を追究する)政治家だった」と、次のようなエピソードを明かしている。
「(87年10月の13回党大会で総書記に就任した)趙紫陽は政治局常務委員会で、『社会主義とは何か。だれかはっきり言ってくれないか』と教えを求めた。そして大まじめで言った。『私にははっきりしないのだ』」(陳一諮ら編「趙紫陽與中国改革」明鏡出版社、05年)
この言葉は、保守派の重鎮、陳雲(ちんうん)中央顧問委員会主任直系の姚依林(よういりん)常務委員(副首相)に向けられたに違いない。ソ連にならった社会主義が失敗、その経験を教訓に改革・開放に転じたのに、なおマルクス主義教典を盾にあれはいかん、これはだめと干渉する保守派への皮肉だった。
趙紫陽氏は70年代後半、四川省党第1書記時代に同省の農村改革で実績を上げ、80年に首相に抜擢(ばってき)された。それまではずっと地方におり、とりわけ前後二十数年に及んだ広東省時代に、趙氏の改革理念を形成する経験を積んでいる。その中にはこんな例がある。
中国が空前の食糧不足に陥った60年代初め、広東省の農民らが香港に不法越境する事件が相次いだ。英国政府の抗議を受けた中央政府が取り締まり強化を指示した。
しかし同省第1書記だった趙紫陽氏は、農民を食わせられない自分たちにも責任があるとして、香港から送り返されてきた越境者を処罰しなかった。そして農民の労働意欲を引き出すため、62年に「3自1包」と呼ばれた個人生産奨励策を積極的に推進、食糧危機を克服した(趙蔚「趙紫陽伝」中国新聞出版社=89年=による)。
この3自1包を打ち出した中心人物が、当時の劉少奇(りゅうしょうき)国家主席とトウ小平(しょうへい)総書記だった。66年からの文化大革命で、資本主義の道を歩む劉トウ路線と攻撃され、趙紫陽氏も批判されている。国民に衣食住を保障し、豊かにするのがなぜ悪いという考えこそ、トウ小平氏と趙氏の共通点だった。
しかし、政治改革では両者には微妙な違いがあった。
≪パニック買いが起きた≫
ともに改革・開放を担ったトウ小平氏と趙紫陽氏の微妙な違いとは何か。
趙氏の政治秘書だった鮑●氏の先の文章によると、1986年に政治改革についてトウ小平氏が趙紫陽氏に考えをただしたことがあった。トウ氏は党政分離、機構の簡素化、官僚主義の克服などの改革を、効率を高め生産を向上させる目的に限定していたが、趙氏は国家の長期安定には、民主政治を確立し、文革再発の根を絶つ必要があると考えていた。
「トウ小平はそれに同意したが、一言付け加えた。『西側の三権分立はやるなよ』と。紫陽は(13回党大会の政治報告に)それを加えたが、それ以外は一切修正されなかった」(鮑氏)
トウ小平氏の信頼をバックに、趙紫陽氏は改革・開放を全面的に進める。88年3月に開かれた全国人民代表大会(全人代=国会)で、首相に就任した李鵬(りほう)氏の活動報告は、改革・開放一色の内容だった。その中で李氏は価格改革の必要に触れていた。
当時、中国国内では物価上昇への不満が募り、また「官倒」と呼ばれる官僚らのブローカー行為が社会問題になっていた。その要因は国家の統制価格と市場価格の2重価格制にあり、それを解消するため、トウ小平氏は価格の自由化を決断する。
5月に第1弾として肉類など食品4品目の価格が自由化されたが、人びとは買い占めや買いだめに走り、市場では商品不足と物価の急騰を招く。しかしトウ氏は、その月訪中した北朝鮮代表団に「通り抜けねばならない難関であり、危険を恐れず、大胆にやれと同志たちに告げた」と話した(「トウ小平文選」第3巻)。
当時は毎年夏、河北省の避暑地、北戴河に長老を含め指導者が集まり、重要な会議が開かれていた。その年の北戴河会議は物価問題で議論が沸騰した。8月15〜17日に政治局の全体会議が開かれ、「価格改革と賃金改革に関する初歩案」がまとまる。
その最中の16日、私も加わった共同通信代表団と会見した趙紫陽氏は「価格改革は断固やり通す」決意を表した。趙氏はリラックスし、満々たる自信をのぞかせていた印象が残る。
ところが19日に国営テレビが政治局の決定を放送したとたん、全国でパニック買いが起こり、銀行には預金引き出しの人びとが殺到する騒ぎになった。
趙紫陽氏はその全責任をかぶり、9月下旬の中央委員会総会(3中総会)で、経済政策の権限を李鵬首相と姚依林副首相に引き渡す。それは趙氏の実権喪失を意味していた。総書記に選出された87年秋の13回党大会から1年もたっていなかった。(伊藤正)
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【用語解説】3自1包
自留地(農家に与えられた小規模の土地)、自由市場、損益の自己責任制と農家ごとの生産請負制のこと。集団所有の人民公社制度の下で労働意欲が減退し、深刻な食糧危機を招いた1961年、劉少奇氏らが打ち出した生産回復策。農民のやる気を引き出し、大きな効果を上げたが、文革で資本主義路線と批判された。
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【用語解説】北戴河会議
北戴河は渤海湾に臨む河北省のリゾート。新中国発足後、新旧の指導者が毎夏、ここに静養をかねて長期滞在、重要課題について意見交換し方針を決める各種会議の総称。9月の中央委員会総会での正式決定に先立つ意見調整の場になった。89年は天安門事件で中止、胡錦濤政権は新型肺炎の影響で03年の会議を中止した後、04年以降も開かないと決定している。
●=彫の周が丹

