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【トウ小平秘録】(8)第1部 天安門事件 第13回党大会
■改革へ深謀、トウ・趙合作
「左王」と呼ばれ、胡耀邦(こようほう)総書記解任でも活躍した保守派理論家のトウ力群(りきぐん)・元党宣伝部長が、1987年秋の第13回党大会の中央委員選で落選したことは前回書いたが、中央顧問委員会常務委員選でも落選した。187票中85票しか得られない惨敗だった。
対照的に、その年1月に党総書記を解任された胡耀邦氏は中央委員選で上位当選。党大会に続いて開かれた第1回中央委員会総会(1中総会)では、投票総数173のうち166票を得て政治局員に選ばれた。反対7票のうち1票は胡氏自身だった。
党歴40年以上の長老で構成する中央顧問委員会(主任はトウ小平(しょうへい)氏。党大会後に陳雲(ちんうん)氏を後任に選出)さえ、「左」を支持しなかった。その屈辱を、トウ力群氏は2005年に香港で出版した回想録「十二個春秋」で「その晩はよく眠れなかった。数日間、気分は優れず、不公平だと感じた」と書く。
トウ力群氏は、自分が指導していた中央書記処研究室が87年7月に解散させられたことなど、「趙紫陽(ちょうしよう)氏とその配下による引き落とし攻撃」を列挙。趙氏を「陰謀家」と決めつけ「その目的はトウ小平の支持なしには実現できなかった」と述べている。
トウ力群氏の指摘は、トウ小平氏が大衆への武力鎮圧を決断した天安門事件(第2次、89年6月)全体を見渡したとき、重要な意味を持つ。13回党大会は、政治・経済両面で大胆な改革策を打ち出したが、それはトウ小平、趙紫陽両氏の合作だった。両氏の強い信頼関係が背景にあった。それがどう崩れたかが、天安門事件のポイントになるのである。
党大会ではトウ小平、陳雲両氏以下、長老のほとんどが中央委員会から引退し、8大長老のうち再選されたのは楊尚昆(ようしょうこん)氏(政治局員)だけだった。トウ氏が早くから主張していた指導者終身制の廃止と幹部の若返り実現への一歩だった。
トウ小平氏は80年8月、政治局拡大会議での演説で、毛沢東の晩年の過ちを、「一言堂(ワンマン)」や個人崇拝を生んだ制度の欠陥に帰し、その直後に会見したイタリアのオリアナ・ファラチ記者にも終身制廃止の必要を強調している(「トウ小平文選」第2巻)。
その最初のステップとして82年2月、老幹部退職制度を設け、同年9月の12回党大会では、老幹部で構成する中央顧問委員会を新設したが、老人支配に変化はなかった。政治局員25人中、60歳未満は1人、政治局常務委員6人中では胡耀邦、趙紫陽両氏以外は70歳以上だった。
≪長老たちは引退せよ≫
胡耀邦氏のブレーンだった改革派の呉江(ごこう)氏は、香港で出版した「十年的路」で、1986年になって指導者の若返りなど政治制度改革の検討が本格化したとする。そのきっかけはトウ小平氏がつくった。
トウ氏は86年9月、米CBSテレビのインタビューにこう話す。
「(80年に会見したイタリアの)ファラチ記者に85年までで引退するつもりだと話したが、1年超過してしまった。早く引退したいが、党内も人民も承知してくれない。来年の党大会で引退すべくみんなを説得中だ」
趙紫陽氏は95年12月に行った新華社記者の楊継縄(ようけいじょう)氏とのインタビューで、こう明かしている。
「86年2月、胡耀邦が訪ねてきて、トウ小平から『13回党大会で政治局常務委員と顧問委主任をやめる(中央軍事委主席には触れず)ので、君も総書記をやめて顧問委主任を引き継げ』といわれたと話した。そうすれば、大勢の老同志も引き連れ引退させられる、と」(楊継縄著「中国改革年代的政治闘争」、以下「楊書」)
13回党大会ではトウ氏が率先して中央委員を辞退、他の長老たちも追随し、大幅な若返りが実現した。トウ氏は中央軍事委主席に留任、陳雲氏は顧問委主任、李先念(りせんねん)氏は全国政治協商会議主席、王震(おうしん)氏は国家副主席と、政治局員でも中央委員でもないヒラ党員が要職に就く変則的な「引退」だった。
新しい政治局常務委員は趙紫陽、李鵬(りほう)、喬石(きょうせき)、胡啓立(こけいりつ)、姚依林(よういりん)の5氏で、趙氏以外は新任だった。後に学生デモへの対応で趙、胡両氏の柔軟派と李、姚氏の強硬派、喬氏が中立と分かれたように、保革の妥協の産物だった。
「楊書」によると、トウ小平氏は当初、積極改革派の万里(ばんり)、田紀雲(でんきうん)両氏も加えた7人制にすることを提案したが、保守派が難色を示し、断念したという。
これについては田紀雲氏は04年6月、北京の炎黄春秋雑誌社の幹部との懇談で、こう話している。
「トウ小平は大胆な構想を持ち出した。中央委員に投票させ、得票の多い順に7人を選んだらどうか、と。一部の長老が同意せず、小平は押し通さなかった」
トウ力群氏の落選が示すように、改革派大優勢の中で投票で決めたら、次期首相に内定していた李鵬氏はともかく、陳雲氏の弟子で70歳の姚依林氏は落選したに違いない。そうなれば、保守派は反発し、改革の妨げになりかねない。
トウ小平氏は「富強の中国」の夢を趙紫陽氏にかけ、改革実行の環境づくりに、83歳の力と知恵をふり絞っていた。(伊藤正)
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【メモ】
中国共産党の基本路線は5年に1度開かれる全国代表大会(党大会)で決定され、少なくとも年に1度開かれる中央委員会総会が具体的な政策と方針を決定、指導する。中央委総会閉会中は政治局および政治局常務委員会がその職権を代行し、党の最高機関となる。このシステムは、第13回党大会(1987年)以降定着した。
中央規律検査委員会は党規違反や汚職などを摘発。中央軍事委員会主席はトウ小平氏以降、事実上の最高権力者のポストとみなされている。直属機関には中央宣伝部、中央組織部などがある。
中央顧問委員会は1982年、トウ小平氏が老齢化した革命第1世代の古参幹部を引退させるために発足させ、長老たちを受け入れた。最盛期には約200人の委員が就任し、党指導部に対して大きな影響力を与えたが、92年廃止。
