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【評伝】ブット元首相 激変した母国にかき消された「救世主」 (1/2ページ)
ベナジル・ブット氏には昭和天皇の崩御に伴う「大喪の礼」出席のため初訪日した際、東京都内のホテルでインタビューしたことがある。1989年冬。パキスタンはもちろん、イスラム圏でも初めての女性宰相になって3カ月余りだった。
ブット氏は自国の核疑惑問題から対アフガニスタン、インド関係までよどみなく答え、「パキスタンに核装置製造の野心はない」と強調した。会見を終え、ホテルの通路を弾むように歩いていく姿が印象に残っている。
氏は1953年、同国シンド州の大地主の家に生まれた。「運命の娘 ベナジル・ブット自伝」(邦題)によると、植民地支配した英国人が現地を視察し「ここは誰の土地だ」と尋ねるたびに御者が「ブット」と答えるので、「ブットの土地を抜けたら起こせ」と言って一眠りしてもまだブットの土地だったとの逸話が語られていたほどだ。
祖父は、同国がインドから分離独立する前のボンベイ総督や当時の一州の首相を務め、父ズルフィカル・アリ・ブット氏は米カリフォルニア大バークリー校と英オックスフォード大に学び、バングラデシュがパキスタンから分離独立した直後の混乱期の1973年に同国首相に就任している。
自らもハーバード、オックスフォードと父同様に米英の名門大に留学。この間、父親からは国連安全保障理事会やインディラ・ガンジー・インド首相との首脳会談に同行させられたりし、“帝王学”も授けられた。
ハーバード時代、最も感銘を受けたひとつがウォーターゲート事件で、自伝に「米国のような民主主義国では指導者は交代しても合衆国憲法は残る。パキスタンでは、われわれはそれほど幸運ではない」と記している。
実際、一家の幸運は父親が77年、ジア・ウル・ハク陸軍参謀長によるクーデターで失脚、約2年後に政敵殺害のかどで処刑され、暗転する。軍政への怨念を燃やしたベナジル・ブット氏は、大統領になったハク氏が謎の搭乗機墜落で死亡した直後の88年総選挙に勝利し首相に就任した。初訪日時、ブット氏は民主化の旗手として絶頂期にあったかもしれない。



