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【代表戦記】特別版 長沼健氏を悼む 日本サッカー発展に貢献 (1/3ページ)
このニュースのトピックス:ウイークエンド「MSN産経ニュース」
「健さんが勝たせてくれました」
6月3日、サッカー日本代表の岡田武史監督は、前日に肺炎のため77歳でこの世を去った日本サッカー協会元会長の長沼健氏の遺体と対面し、真っ先にそう報告した。葬儀会社の人間に頼み込み、特別に会わせてもらったという。
長沼氏が亡くなった2日は、W杯アジア3次予選第3戦のオマーン戦(日産スタジアム)当日。ここまで1勝1敗、岡田監督には「負ければ進退問題」とのうわさも出るなど、背水の陣での試合だった。結果は3−0。古河電工に入社したときの総務部長で、11年前に自分をコーチから代表監督に引き上げた大先輩に、報告せずにはおれなかったのだろう。
1954年、日本のW杯予選第1号ゴールを決めた名ストライカーで、68年メキシコ五輪では日本代表を銅メダルに導いた名監督。いかにも荒っぽい印象も受けるが、「声を荒らげるのを見たことがない」と、長沼氏を知る関係者は口をそろえる。
フランスW杯予選中の97年10月、突然の代表監督昇格に「加茂(周)さんと一緒に(コーチを)辞めます」と一度は固辞した岡田監督。それを長沼氏は「全責任はおれが取るから」と翻意させた。「とにかく人をほめる人。一番腹も据わってたんじゃないか」と岡田監督。怒りではなく、相手を尊重し対話と説得で包み込むのが“長沼流”だった。
日本サッカー協会会長時代の96年、W杯日本招致を実現した際も、国際サッカー連盟(FIFA)から提示された韓国との共催案を苦渋の表情で受け入れた。監督とコーチ、また会長と副会長として、60年近く“二人三脚”で歩んできた岡野俊一郎・日本協会最高顧問は「みんなに慕われていたから、決断すると誰もが協力を惜しまなかった」と振り返る。






