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【有馬名馬列伝】(8)女傑トウメイが勝負根性で制す(1971年)
1971年の有馬記念は前代未聞の大問題で揺れていた。国内で初めて馬インフルエンザが発生したのだ。ワクチンなどの対応策がなかった日本では、東日本地区の競走馬の間で発症が続出し、開催の休止や日程変更を余儀なくされた。
有馬記念も例外ではなかった。出走表の段階では9頭立て。ところが、1番人気が確実のメジロアサマ、2年連続2着のアカネテンリュウ、カミタカの計3頭が出走を取り消した。つまり、6頭立ての少頭数になり、当時の新聞に「ファンの夢をぶち壊す最低のドリームレース」と酷評されたほどだ。
逆にこのチャンスを生かしたのが、牝6歳(数え年)のトウメイだった。当時3200メートルだった天皇賞・秋を勝ってから中3週。まして中山コース、有馬記念ともに初めての挑戦に、いくら勝負根性に優れた馬でも勝ち負けは難しいといわれた。
レース当日の12月19日はモヤが立ち込めていた。サンセイソロンが引っ張るレースで、トウメイは後方に待機し、進出の機会をうかがった。最後の直線の坂下。清水英次騎手のムチの合図で一気に抜け出すと、切れ味鋭い末脚を発揮した。ダービー馬ダイシンボルガード、この年の天皇賞・春の勝ち馬メジロムサシを抑えて勝利。天皇賞・秋の勝利がフロックでないことを証明した。1馬身半差をつけられた2着のコンチネンタルの野平祐二騎手は「本当に並ぶ間もなく抜かれた。せめて馬体を合わせて競り合ってくれれば、差し返すこともあったのに」と切れ味に脱帽した。
牝馬としてガーネット、スターロッチに次ぐ史上3頭目のグランプリ馬。しかも牝馬による天皇賞、有馬記念の連覇は1959年のガーネット以来、史上2頭目となる快挙を成し遂げた。そんなトウメイだが、馬体の貧弱さから買い手がつかず、一般価格の半額程度の165万円で落札。人に慣れず手入れをすると暴れたので、担当厩務員がいなかったという。
【16・10・2・3】の生涯成績で5着を逃したことがない。獲得賞金は1億5097万円と当時の牝馬では最高額に達した。引退後は天皇賞を制覇したテンメイを出し、“女傑”にふさわしい生涯を送った。
■トウメイ
父シプリアニ、母トシマンナ(母の父メイヂヒカリ)
成績は31戦16勝
主戦騎手=清水英次、高橋成忠ほか
主な勝ち鞍=天皇賞・秋、有馬記念(1971年)。産駒に天皇賞馬テンメイなど。

